Monday, September 19, 2011

まとめ。あと、このブログの今後。

私のHULTでのMBA修了に当たって、このブログをどうするか考えた。

私は、今後も米国に残って今のインターン先で契約ベースの仕事を続けながらフルタイムの仕事を探すつもりだが、HULTやMBAに興味があってここを訪れる人の中に、米国就活日記に関心のある人がどれだけいるかは分からないし、ましてや私の就活が結局うまく行かず、「就活残念日記」的なものになった場合、きっと読者層は完全に別のものになる。

そこで、このブログはHULT、ボストンおよび他の米国MBAに関心のある方たちをターゲットとした、MBA生活にフォーカスした記録としてこのまま置いておくことにした。これまでにも直接MBAやボストン生活に関係しないエントリーもあったが、これは愛嬌ということにしてほしい。

雪が降った日、HULTの前

このブログのテーマであるHULTのMBAについて説明を加えておけば、HULTはボストンキャンパスをはじめ、サンフランシスコ、上海、ドバイ、ロンドンに5つのキャンパスを持つインターナショナルビジネススクール。経営コンサルティング会社のArthur D. Littleが創立したマネージャー育成のためのビジネススクール (Arthur D. Little School of Management) を、EFという教育機関が買い取って03年に校名を変更した。詳細については、以下のウェブサイトを参照。

日本語ウェブサイト(ページ数が少ない) → http://www.hult.edu/mba-jp
日本人卒業生ウェブサイト → http://www.hult-mba.jp/

米国ではまだ数の少ない1年制のMBAプログラムを提供していて、名称変更からの歴史が浅いこともあって知名度はあまり高くないが、その充実したコンテンツは、The Economist誌のグローバルMBAランキング (27位、北米17位) や、Financial TimesのグローバルMBAランキング2010でも61位 (09年は94位) など、高く評価されている。

ランキングで言えば、たくさんのビジネススクールがあるマサチューセッツ州で、ハーバードとMITに次ぐ、隠れた優良MBAということになる。(説明ここまで)

ある日のクラスの面々

私は2010年の9月入学。このブログは元々、私がここでの生活を記録し、後から自分の学習を振り返るために立ち上げたのだが、HULTのMBAに関する数少ない情報源として、進学希望者の間で徐々に読まれるようになった。アジアのアドミッション担当ディレクターのKieranや、ボストンのキャリアオフィスがこのブログの存在を知ってからは、日本の進学希望者に読まれていることを意識するようにしていた (意識し損ねているときもある)。

しかし、やはりMBAでの日常といえば、たまにある貴重なうれしい体験や充実感と、一方で気持ちの大半を占める難しいチームワークへのイライラや就職への不安、授業での苦労などで構成されているため、内容がネガティブな所も多くある。これが読者の方にどのような印象を与えたかは分からない。私の性格的なものなので仕方ない。

あくまで強調しておきたいことは、HULTでの一年間のMBAの経験は、私にとってとても内容が濃く、とても充実したものであったということだ。世界各国から様々な一流企業でのキャリアを一時中断、キャリアアップや起業を目指してやってきたクラスメイトと一緒にビジネスの事例や理論を学ぶことから得られた知識や、たくさんの議論や (ほぼ) 口論、学外での私的な交流を通して経験したこと、学んだことというのは、他では決して得られないと思う (こういったフレーズは、どのMBAブログでも見られること間違いないが、本当に貴重な経験だった)。

特に私の場合、日本からハワイと英国への留学を通して学業に多くの時間を割き、実務の経験が比較的短かったため、様々な業界で平均7−8年程度、マネージャークラスの経験があるクラスメイトとプロジェクトを通じて議論して協働したことは大きな自信になった。そして、インターンの経験、ALPでのコンサルティングプロジェクトを通して、異国の地で実践に近いビジネスの経験ができたことには、HULTの関係者に対して本当に感謝している。

日本人クラスメイト(1人隠れている)

また、この一年を乗り越える中で、ボストンキャンパスの日本人学生の強い団結がとても重要なファクターだった。ボストンには9人もの日本人がいて、それぞれの得意分野を活かして互いを助け合っていた。常に一緒にいる訳ではないのだが、カルチャークエストや試験が近いときなどのチームワークに対しては、他国の学生からも羨望のコメントを何度か聞いた。

今はこのうち7名が日本へ帰国し、すでに元の企業や新天地での業務を開始したり、最終の面接に臨んだりしている。彼らの学業やキャリアへの姿勢や、日本での素晴らしい経験に基づく話から、私も多くを学ばせてもらった。今更ながら、感謝の気持ちに耐えない。卒業から1ヶ月が経って、こんなことを書いているのもタイミングのずれた話だが。

以上を以て、私のHULT MBAについてのブログは終了となる。これまで記してきた内容が、数少ないHULTに関する日本語での情報として、今後HULTへ留学される方、留学を検討される方、ボストンでの生活を始められる方にとって参考になっていれば幸いである。最後になるが、これまで私見と雑念に満ちた私の日々の駄文を読んでくれた皆様に感謝したい。ありがとうございました。

ボストン夜景(本文とは関係ありません)

Friday, August 19, 2011

8月18日 (木) HULT卒業式

卒業式の日。今日をもって私たちは正式にHULTを卒業し、それぞれの進路を歩むことになる。一年を思い返せば、本当にあっという間だったがとても貴重な経験に満ちた時間だったと思う。

卒業式は、ボストンのBack Bayの辺りにあるWestin Hotelのホールで行われた。世界中からクラスメイトの家族や友人が駆け付けていて、とてもすてきな雰囲気だったと思う。私を初めとする日本人学生の家族はあまり来ていなかったのだが、インドやブラジル、その他の国の学生の中には、親族が10人もボストンへ駆け付けて、ついでに2週間も滞在していくなど、卒業を口実にしたバケーションじゃないかと思わせるような家族もいた。

クラスメイトの家族にいろいろな国の様子を観察してみると、なんだか少し思うこともあった。日本を初めとするアジアの国では、成人しても親と同居していたりして家族の結び付きが強く、逆に大学生になる頃には一人暮らしを始めて当然という西欧諸国では、それぞれが個人としてもっと自立していると、私は昔考えていたのだが、実は日本ほど家族の関係が希薄な国は無いのではないか(もちろん、家庭によって程度も事情も違うけれど)。当たり前のことをいえば、自立するということは、ただ経済的に人に頼らないことや、人との関係を希薄にすることとは違って、確立した自己を持った「私」として、大切にすべき人を大切にできることで、愛すべき家族をきちんと愛せることだ。

さて、セレモニーの後、ワインを飲みながらのレセプション。ここで最終成績を受け取り(GPAは3.42 だった)、マーケティングリサーチでまさかのBマイナスが付いていることに驚いたり、インターンシップがAでうれしかたり、ALPがAマイナスだったことにちくしょうと思ったり。総合GPAが3.60以上でディスティンクションという賞(日本語に訳すと「主席」になるらしい)がもらえるのだが、すっかりモジュールCとDで成績を下げてしまったので、全然惜しくもない。

夕方にはクラスメイトとその家族、総勢30名余りで美味しいシーフードを楽しみ、その後、卒業パーティーへ。夜9時に始まったパーティーは深夜2時まで続き、クラスメイトと今後の進路を話し合ったり、ボストンを離れる友人との別れを惜しんだり。マーケティングの教官ハーレイの息子がDJとして音楽を鳴らし、日本人クラスメイトのY氏とM氏作成の卒業記念ビデオが流れる会場では、ラテン系を中心としたメンバーが踊り狂っていた。「家族のいる前で(というか家族も一緒に)あんなにはしゃげるもんなんだねー」というのが、別のクラスメイトY氏の後日談。HULTのインターナショナルっぷりがここでも発揮されたのかもしれない。

なんにせよ、祝・卒業、ということにしよう。



Saturday, August 13, 2011

8月9日 (水) 仕事の話、OPT、8月と9月の過ごし方


インターンのオフィスへ。昨日でHULTのMBAプログラムは全過程が修了したのだけど、インターンシップは期間が8月10日までとなっているためだ。

さて、メンターからうれしい話があった。私がフルタイムのポジションを見つけるか、今の部署に新しく誰かを雇えるようになるまで、外部のコントラクター (個人の下請け業者のようなかたち) で、今のチームと一緒に仕事をしないかということだ。チームはとても好きだし、私のOPTの労働許可は就業形態に関わらず週20時間以上の労働をしていれば維持される。何よりも、これまで数ヶ月間コツコツと足を運んで、なんだかんだやってみた仕事が評価されて、少しずつ前に進んでいることがうれしい。

しかし、問題が1つ。私のOPTが10月1日から有効なので、私が米国で合法的に働くことができるのは10月になってからだ。この点について、メンターのナンやマネージャーのヘンリに上手に伝えないといけない。さらに、これでいったん米国で働くスタートラインには立てるものの、長期的には来年9月にOPTが執行するまでにビザをサポートしてもらえる仕事を見つけないといけないので、まだまだ前途は多難。ま、元から前途洋洋な人生など期待していないのでなんてことはない、か。

そんなこんなで、今からOPT開始までの約1ヵ月半は、就職活動とボランティアや英国エージェントとの翻訳仕事、そして趣味の読書なんかをして過ごすことになる。MBAの期間中、課題の文献以外を読む時間が極端に減っていたので、ここで知識や思考をアップデートしたい。また、HULTの同級生もボストンに多く残っているし、友人も米国を訪ねてきてくれたり、米国に住んでいたりするので、久しぶりの人に会って話をしたいなと思う。

Tuesday, August 9, 2011

8月8日 (月) 最終プレゼンテーションとさらにオチ

HULTのMBAプログラムの締めくくり、ALPの最終プレゼンの日。

前日の日曜は、午後9時半まで打ち合わせ。知人から受け取るものがあって、寄り道、食事をしてうちに帰ったら11時。プレゼンの前半担当 (約20分) になったので、最後くらいはうまくできるようにとシャワーを浴びた後で練習。スライドをめくりながら、一枚一枚どんなメッセージを伝えなければいけないかと考えていると電話が鳴る。同じプレゼンの後半担当のラフールだ。

チームは朝7時にノースステーション集合なのだが、プレゼンテーションの最終打ち合わせをしたいので、6時にHULTで会わないかとのこと。このとき時刻は12時17分。「超嫌だ」とも言い切れずOKする。翌朝、眠い目をこすりながら6時に5分ほど遅れて学校に到着すると、ラフールから電話があり「寝坊したので駅で会おう」と。自分で言い出したくせに、と言って朝から笑う。

プレゼンテーションは、サウスボストンにあるP&GのGillette Buildingというところで行われた。ヒゲ剃りやカミソリを作っているGilletteは元々ボストンの企業だが、いつだったかP&Gに買収されてその傘下に入っている。物流なんかはとっても良くなったと以前ゲストスピーカーが話していた。

会議室でのプレゼンテーションは、割とフランクな雰囲気で行われたけれど、1チーム目のプレゼン担当者がとても上手くて私の緊張が加速する。自分の順番が回ってきたときには、とにかく自分が普段話すスピードで話そうと、言い聞かせる。さらに、伝えるべきところではさらにスピードを落とすように心掛けた。恰好をつけて流暢に話そうとしても裏目に出るのは分かっているので、キーセンテンスに集中し、文を短く、正確に伝わるように、自分のスピードで話すことが大切。

とは言うものの、本番はそうはうまくいかず。序盤はこれができても、だんだん勢いが付いてしまって、ぽろぽろとボロが出る。困るなあと思いながら話を続けて、幸いそこまでまずいことにはならないうちに自分のパートを終えることができた。聞いていたクラスメイトたちからも、とてもクリアかつ的確で良かったよとフィードバックがもらえて、ずっと苦手なプレゼンだけど、傍観するよりは挑戦して良かったと思う。

プレゼン終了後は、MBAの全プログラム終了とあって、みんな表情が明るい。一年間はあっという間だったが、とりあえずいろいろ詰め込まれていた。私自身は、まだ次の進路が決まっていないし、なにより、このややこしいチームでのプロジェクトが終了したことの安堵感の方が強く、まだMBA修了の実感がわかない。


さて、まだ続きがある。

プレゼンが終わって聞かされたのが、ヘレンちゃんがまだ提出しなければいけないプレゼンの動画を提出していないということ。帰ったらすぐにやっておいてくれと頼んで、HULTでペーパーワークをして、日本人クラスメイトのKとMとで食事をして、夜10時前にうちに帰ると、IXLのサムからメールが来ている。「動画が提出されていないよ」。おい。

あわててチームに連絡を取ると、ヘレンちゃんが「動画ファイルが大きすぎてアップロードできない。ファイル変換に30分掛かる」とのこと。締め切りを12時間も過ぎている。昨日録画していたのに、今まで24時間何をしていたのだろう。

さらに、しばらくして次のメールに「Youtubeにアップロードする方法が分からない」ときたので、これも結局私がやる羽目になった。最後の最後まで本当にやってくれるなあと、感心するやら呆れるやら。とにかく、終わりだ。ただ悔しいのは、度重なるびっくりに、達成感よりも、疲労感の方が大きいことだ。時間が経てば、この感覚も変わっていくのだろうか。

Sunday, August 7, 2011

8月7日 (日) 最終プレゼン前日、相変わらずな私たち。


日曜だったが明日の最終プレゼンのためにリハーサルとミーティング。1時からのリハーサルでは、IXLのサムからいろいろとフィードバックを受け、さて直すところを直して資料を完成させてプレゼンに備えようと思ったら、2時半ごろからのミーティングがまた紛糾。

オスワルドくんは、準備最終日でまだ作業が残っているのに「あと1時間半で帰らないといけない。大事な用事なんだ」とか意味の分からないことを言い始めるし、ヘレンちゃんはヘレンちゃんで「みんな、チームというのはね…(以下、耳に入っていない)」とか意味の無いことを語り始めて、挙句「このチームには問題があると思う」とかタイミングの読めないことを言い始める。最終プレゼンの前日に大切な用事を入れて、なおかつそれを当日チームに伝えるオス。常に人と違った視点で、今大切なポイントと関係ないことばかりを話すヘレン。忍耐力を試される私。

彼らの発言の意味が分からないのも、発言に意味が無いのも、もういつものことなのでどうでもいいのだが、ただ今のチームに「私たちはどうあるべきか」を話し合う時間が無い。まず、修正点は修正する。追加点は追加する。その上で、どうやってプレゼンテーションを行うかを相談するべきだと言っても、とりあえず彼らは自分の演説に夢中になっていて聞いていない。このプログラムを通じて、こうして彼らの演説、意固地な主張と、それに対するダメ出しに時間を浪費させられてきたなあと感慨深く感じさえする。

で、いろいろあって、いったん役割分担をして、私とキショウでプレゼンテーションのスライドを編集し、ロジックに穴があったところを詰めて、必要な情報を追加していたら夜になってしまう。7時ごろ、スライドが完成する段になって (オスはほんとに2時間で帰った)、今度はプレゼンを私とラフールが担当したいと言ったことでヘレンちゃんが激昂。なんだかんだと非常に失礼な言葉を吐いたため、ラフールとほぼケンカになってしまう。彼女曰く「ラフールやアキのプレゼンには『自信』が感じられ無い」とのことで、一方の彼女のプレゼンは自信に溢れているが意味が分からない、という悩ましいシチュエーションだ。

途中で、私もいい加減聞いていられなくなって参戦してしまったため、穴だらけの議論を諭されたヘレンちゃんがお部屋から飛び出していってしまったり。あぁ、1年間MBAの授業を受けても、土壇場のチームワークってこんなものかと思うと切ないようでもあり、本質を学んでいるような気もしたりする。結局チームは人でできていて、いろいろな人のいろいろな性格を把握・活用するためのいろいろなスキルは存在するけれど、それを受け入れるだけの学習能力と自省する能力のある人でなければ意味がない。組織は人なり、とはよく言ったものだ。

結局ミーティングは9時半まで続いて、私はそこからMGHへ行ってお世話になっている医師のT先生から書類をもらい、閉店間際の米国式似非アジア料理店でごはんを食べて帰宅。プレゼンスライドをレビューしながら、プレゼンテーションの準備をする。明日は20枚弱のスライド (約20分) を担当するし、クライアントのオフィスでのプレゼンなのでしっかり練習しておかないと、きっと詰まる。

Thursday, August 4, 2011

8月3日 (水) ALPのミーティング

ALPのミーティングは10時過ぎから始まったが、参加者は私とインド人のキショウとラフールの合計3名。ベネズエラのオスとチャイナのヘレンが午後からしか都合が付かないと連絡があったのだが、1時に始まるクライアントとの電話会議があったので、前回のプレゼンでフィードバックを受けた点を見直し、残り1週間の方針を決めようと議論をする。

大体の構成を書き出し、追加しなければいけない情報を足して、さあ、分担して調べものとスライド作りをやろう、と話がまとまったところで1時間。進行がスムース過ぎて笑ってしまう。普段ならここに至るまでに3倍くらいの時間が必要になるからだ。

パターンとしては、まずオスかヘレン (あるいは両者) から論点のズレたセールストークがあり、それに対するダメ出しに対して、剥きになった反論や、さらにポイントのズレた言い訳があり、私が「そんなこと聞いてない」とか指摘するものだから余計に喧々諤々となって、ラフールが呆れ果てて口をつむぎ、キショウが我慢強く待って、粘って、うまくまとめようとする。この生産性の上がらないパターンが、これまでのミーティングの時間の多くを占めている。

ALPというのは、HULTのMBAにおける最後のプロジェクトで、実際の企業に対するコンサルティングプロジェクトだ。とても貴重な機会で、多くの学びを得たいと考えるのだが、実際のところこれまで余りにもたくさんの時間がチームのマネジメントに費やされている。方針がぐだぐだになれば、調べ物をしようにも焦点が絞りきれなかったりもする。実に、良くない。悩む。

クライアントとのミーティングは円滑に進み、今後の方針に対してOKが出る。あとは、どれだけ具体性のある提案を用意できるかが鍵だ。ミーティングの後、前回のような本番直前にびっくりさせられる事件が起こらないように (7月28日の日記後半参照)、スライドのアウトラインとテンプレートを作成し、チームに送った。来週の月曜日にはまさかの最終プレゼンなので、最後の数日間くらいは、本当に打ち込んで良いものを発表したいと思う。

Tuesday, August 2, 2011

[memo] on Sanitation and Waste Management

Community-led Total Sanitation
http://www.communityledtotalsanitation.org/page/clts-approach


Behavioral changes require people's involvement and engagement.  It is an effective approach making them realize the potential risks anddanger facing them. The calculation part of their own feces is hellarious.


The combination of the toilet, soap, and clean water completes the cleanliness and hygiene. Hmm.

On Septic Tank

Septic Tank on Wikipedia

Waste Disposal, American Ground Water Trust

The only maintenance required by a properly operating system is the removal of accumulated solids from the waste water tank every few years. But what is the capacity of this method? The following Easy toilet sounds convenient as you can build on in the future.
 
Info: A villege of 200 people makes over 3000 kg of feces a month

Funny one: No way out without Sanitation (Song)



Monday, August 1, 2011

バイバイ起業家スーザン

起業家スーザン (ライブラリアンではない方) の話の顛末。実は彼女とのミーティングがここのところ数回続けてキャンセルされていたのだが、先週の夜にサウスボストンのホテルに呼び出されて話をし、そこで私は彼女のビジネスから外れることになった。まぁ、これが最善の策なのかどうかは知らないが、仕事の仕方が合わないようなのでそれでいいだろうと思う。

彼女とビジネスパートナーのマイケル君と、私との間にいろいろとコミュニケーションの問題があったように思うが、彼女らの壮大な起業計画から離れた今となっては正直どうでもいい。彼女らからすれば、私から自主的なアプローチがないのでやる気が見えない、ということだったが、直近3回のミーティングの当日キャンセルにより激しくモチベーションが下がったのは事実だ。

別に賃金を得ていたわけでもなく、面白そうだから、あるいは後のネットワークに期待して、という理由でのボランティアだったので、お互いにニーズが一致しないなら、私としても手を引いた方が時間を有効に使える。新しくヘルプを探したり、1から事業 (…にまだなっていないのだが) の説明をしなければいけない先方の方にデメリットは大きいんじゃないかと思う。仕事の仕方やビジネスに対する考え方は全く合わなかったが、面白い人たちなのでビジネスがうまく行くことを祈る。

私自身の収穫としては、自分自身が「誰に、何を、どうやって、いくらで」というビジネスのコンセプト的なところで腹に落ちない仕事はやはりできないなというものと、アタマを使わなければいけない仕事の数はある程度絞らないと、効果的なアウトプットが出せないという当たり前のことだ。一緒にこの仕事を始めたK氏には申し訳なく思う。今度ラーメンでもご馳走させてもらおう。

Sunday, July 31, 2011

7月30日 (土) ボストン飲茶会事件

飲茶会事件という名前の会がある。ボストン在住でVCに勤めるKさんがツイッターで呼びかけて、運営を最近の私のごはん友達H氏に丸投げしたと聞く (多分その通りなんだと思う)。毎月、どこかの週末のお昼にチャイナタウンで美味しい飲茶をたらふく食べるというだけの会なのだが、今回ひさしぶりに参加することができた。少し、この会も大きくなってきているらしく、前回参加したときには10名程度だったのだが、今回は20名に近づいていたような気がする。

飲茶は美味しい。しかも、安い。円卓を囲んで、蒸し餃子各種やチャーハン的なものや、ちまきやシューマイ、いろんなものを食べて、一人当たり15ドル (1200円) だった。今の円高も手伝って、なおさら安い。月に一度こういうブランチがあると、おなかも気持も満たされる上に、やってくる人たちがみんな賢い人たちなので大いに刺激になる。今回は、新しくボストンにやって来て、MITで研究をすることになった早稲田の先生や、ハーバードの教育の勉強をする日本のNGOから来た人、日本語の先生なんかと知り合うことができた。HULTにいるとどうにも出不精になるので、こうして外へ出る機会があるのもうれしい。

あとK氏はいつもながら本当に親切で、2歳の子どもの面倒を見ながら、こっちでの就職活動についてアドバイスをくれる。米国歴の長いH氏からも、やっぱりネットワーキングです的なアドバイスをもらいながら、なかなかそれが難しいので数打つしかないなあという感じ。よし、打つか。

Friday, July 29, 2011

7月28日 (木) チャイナのBとチャイナのH

ALP、ビジネスコンセプトのプレゼンの日。

インターンの事務所にも今日は行かない。朝のうち、家で作業をしてチームとメールのやり取り。昼前になって、HULTのパソコンルームでパワーポイントをいじっていると、中国のボがいたのでとりとめもなく話をする。うちのチームのアイデアを勝手にバラし(今さらマネをされるわけも無いし、そもそも彼らのチームとはテーマが違う)、意見を求めてみると、どうやら現地に拠点を持つNPOと連携して若干の教育サービスを組み込めないかと言う部分が刺さったらしい。

そのNPOというのが、私が去年からボランティアで英日翻訳を行っているRoom to Readなのだが、この団体について話すと、興味津々でジョン・ウッドの本もAmazonで早速買うとのこと。彼が教育に関心があるというのは知っていたのだが、食いつきっぷりに少し驚いた。

ボーは、中国の東大みたいな北京大学出身、英国系銀行で法人営業をやっていたらしい。モジュールAでGPA3.80というほぼオールAの成績を叩き出した秀才で、クラスの面々も彼には一目置いている。彼と話していて思うことには、ほんと中国にはいろんな人がいる。これまで中国本土にべったり育った人間とあまり突っ込んだ話をすることは少なかったのだが(彼らが中国語圏学生同士で群れるため)、実は政府の批判をする人間だってたくさんいる。表立ってできないだけだ。今度、和食か中華でも食べに行こうかという話になる。

そんなことを思った後のミーティングで、同じ中国から来たチームメイト、Hが暴走。直前になって、すてきな背景のスライドに、お花畑が咲いている系のパワポ資料を送ってきた。前回のミーティングで決めたテンプレートは使っていないし、前回決めた目次にまったく沿っていない。プレゼンテーション本番まであと2時間半なのに、どうするのこれ?

スライドに関して決めたルールはこんな感じだ。「3つのラフなビジネスアイデアをクライアントにプレゼンするので、それぞれについて0. 背景(白地にオレンジの枠、共有済み)、1. プラン全体像(フレーム共有済み)、2. ターゲット、3. 提供するもの、4. 必要なリソース、5. 収支概算。」しかし、Hが作ったスライドにはなんとも言えず不思議な背景(青空の下にどこまでも続く道路)に、捉えどころのない抽象的な言葉が並び、それらが1枚のスライドにつき10回もクリックが必要なほど複雑なのにまったく効果的でないアニメーションと共に浮かんできて、無駄に、動く。パワーポイント覚えたての大学生か、と言いかけて、今の大学生はもっと賢いことに気づく。私が10数年前に大学生だった頃にやってしまった間違い、というだけの話だ。

作戦は2つ。彼女のスライドから使えるところを切り取って元のフレームと目次に収めるか、あるいは、彼女が発表するパートだけ、諦めてそのまま暴走してもらうか、だ。クライアントのいるプレゼンなので、どちらがクライアントにとってベターかを考えなければならない。結局、目の前でウニョウニョ動くアニメーションを解読して、切り貼りしてフレームに収めるのは無理だと分かる。いくら話を聞いても、いったい彼女が何を言いたいのか分からないからだ。今あるままを、とりあえず見た目だけ修正し、プレゼンのあとの質疑応答で周りがなるべくサポートすることにする。

結局、そんなこんなでバタバタとしながらプレゼン終了。クライアントからは3つ提案したアイデアのうち1つに対してGOが出た。これにまつわる現状の課題をきいて、次の8日のプレゼンまでにさらにリサーチして、提案を行う。心配したHのパートは、要するに全くなにが売りなのか伝わらなかったらしく、「大きな設計図だけど、そこにあることは全部すでにうちがやってるね」と、クライアントから根本的なダメ出しがでて、彼の時間をほぼ無駄に等しいので、私はとてもへこんだ。

とにかく、あと10日でALPも終わりだ。

Tuesday, July 26, 2011

7月25日 (月) オフィス→HULT→翻訳

時間が無いので箇条書き。

  • 朝からオフィスへ。月曜の朝は嫌いだ。
  • メンターが推薦状を書いてくれる。リクルーターにコンタクトするときに添付しなさいとのこと。下書きは私が自分でやった。Webからサンプルの良い文章を拾って、アレンジするのがコツだ。1から自分で構成しようとすると、英文らしくない文章や、素人っぽい文章になる。
  • ビルと打ち合わせ。金曜日には、他の部署の人と打ち合わせ。これをゴールに準備を進める。彼の仕事の仕方は見習うところが多い。あと資料作りが上手い。
  • ランチの時間に、オフィスで初めて日本人を発見する。日本支社からQAのためにこちらへ呼ばれたらしい。グローバル企業に日本人は少ない。
  • メンターがHULTで用があったため、彼女の車に乗せてもらってボストンへ戻る。普段の通勤は1時間半以上掛かっているのだが、車だと30分強で着いてしまう。速い。
  • ALPミーティングを2時間。うまくファシリテーションできて建設的議論になった。
  • と思いきや、最後の最後に紛糾。しかも、へレンが怒っている理由は、彼女がキショウの言っている内容を完全に誤解しているからだ。ああもう、人の話を聞きなさい。
  • 負担にならないレベルで引き受けたはずのルーム・トゥ・リードの翻訳校正作業が、思いの外時間が掛かる作業だと分かる。発見。他人の訳を修正するより自分で訳す方が速い。
明日は、ALPの詰め作業。次のプレゼンは木曜日。

Monday, July 25, 2011

7月23日 (土) ボストン熱波

昨日の金曜日から今日の土曜日にかけて、ボストンに熱波がやってきた。両日とも、最高気温は38度や39度となっていて、日本でもかなり暑い日の部類に入ると思う。ボストンの暑さは、日本に比べればまだ湿度が低い分マシだと聞くが、問題はうちの部屋にはエアコンがなく、扇風機が1台と空気清浄機が1台あるだけだということ。

金曜の夜にオフィスから帰るとき、1人でブルックラインへ足を伸ばし、ずいぶん久しぶりにきちんとした和食を食べ、ついでに小さな扇風機を1つ買った ($15=1200円)。今ある大きなものを部屋から暑い空気を送り出す換気扇代わりに使い、この新しい方を自分が当てようと考えたからだ。ついでに壊れているドライヤーも買い換えたのは、就職活動もなんとかして米国に残ってやろうと言う自分への意思表示でもある。

うちに着くと部屋はサウナになっていた。私の部屋はルームシェアで3階建ての家の3階にある。1階と2階には大家カップルが住んでいて (彼はMITの研究者、彼女の方はHULTが入っているEFで働いている)、 3階に私とルームメイトが住んでいるのだが、このフロアは屋根裏だからなのか、ものすごく熱が篭る。外が35度を超える日の部屋の中は本当にひどい暑さで、計画通りに扇風機をつけても、気分が悪くなるほど熱い風が起こるばかりだった。

Facebookに思わず書き込む。

【急募】私をエアコンの聞いた場所で寝かせてくれる人。見つからない場合HULTで寝ようかな。

しかし、ウォールに書かれたレスポンスを見る限り、クラスメイトの多くが同じ状況のようだった。1年限りの滞在で、エアコンを購入する学生は少ない。

この暑さは土曜日いっぱい続いた。夜にフレンチのチェリーとその婚約者のナシアとで1杯だけ飲みに行ったが、冷たいビールを飲んだときの解放感といったら言葉で表現しがたい。暑い夏は苦手だが、その分ビールが美味しくなるのは (たまになら) 良いものだ。

明日からは、最高気温が30度にならないらしいので、また快適なボストンの夏が帰ってくる。

Saturday, July 23, 2011

7月22日 (金) オフィスランチ。米国に暮らすこと。

6時半に起きて7時10分までに家を出ると、ノースステーションで30分早い電車に乗れる。そしたら事務所に9時前に着けるので、午前中にそこそこ作業が進む。

ランチは部署の面々と一緒に食べる。Directorのナン、Sr. Mgrのヘンリと、秘書ジュディー、4月頃に転職してきた新婚のビルと、中国系でほぼ米国育ちのキャトリーンで丸いテーブルを囲んで、仕事以外の話ばかりをする。これが私にとっては、いい勉強になるのだが、なかなか大変な時間だ。例えば話題が娘を殺害して逮捕された女性の裁判の話だとか、昔流行したTwilightとかいうドラマシリーズの話だとか、なんとかという映画に出ていたなんとかという俳優の話になると、米国の文化の中で育っていない私には、さっぱり何のことやら分からない。

おそらく、日本で同様の話をしていても、私はしばしば友人をびっくりさせるほど芸能ネタには疎いので、結局は沈黙を守ることになると思うのだが、せめて話題の人物が男性か女性か、年齢はどのくらいか、どういうキャラクターなのかなど、文脈から読み取れるところもあるだろうし、せめてテレビや雑誌で見かけたとかいうレベルでの知識はあることだろう(それか、全く注意を払わずごはんを食べる)。これがこのランチの場では全くできずに困ってしまう。

思うことは、直近4年以上を外国に暮らしていても、私はやはりそれらの国に外国人として居住していて、それぞれの文化に一部として溶け込むのではなく、それらを観察する側として存在しているということ。特に今の職場でこれを強く感じる気がするのは、これまでに過ごした留学生の多い学校という場所(米国、英国とも)や、世界各地から来た人の多かった以前のオフィスに比べて、ここのチームのメンバーは、世代こそ違えど同じ米国のカルチャーの中で生まれ育ってきている人が大半だからだと思う。

米国に暮らしていても、インターナショナルな空気(あるいは特定のカルチャー)がドミナントである場と、米国カルチャーがドミナントな場というのが存在する。これは日本でいえば、日本へ留学や仕事できている外国人たちが集まっている場と、普通の日本人の集まりとの違いに似ていると思う。違いは、前者のような場所が、日本と比べて米国や英国には非常に多いこと。私が経験した中では、米国よりも英国の方に多かった。欧州諸国に近かったり、国内に移民が「移民」として存在しているためかもしれないと思う。米国では移民は「アメリカ人」になろうとする、と昨日読んだブログにあった (ウォールストリート日記「アメリカ金融業界でのキャリア」 http://wallstny.exblog.jp/15144010/)。

そんなこんながあって、上のブログの最後の方にあった「MBAなど大学院からアメリカに来ても、現地に本格的に溶け込むのはかなり困難です。可能であれば、高校か大学からフルタイム留学をすることが、望ましいように思います。」という一節に私は大きな共感を覚えたのだけれど。さて、私はウォールストリートでのキャリアを求めているわけでもなければ、米国人になりたいと思っているわけでもない。ただ、この国をもっと知りたい好奇心はたくさんあるし、いつか日本へ帰るときには、もっとディープな経験を積んで本当に使えるこの国での知識や情報を持って帰りたいと思う。

なるほど、今のインターンでの経験は、ただ一年留学して日本へ帰っていれば、まず考えることがなかっただろうし、去年まで住んでいたロンドンとNYCやボストンとの違いについても、あまり考えなかったのだろうと思えば本当に貴重な体験だ。メンターには本当に感謝。就職活動についても、できる限りサポートすると言ってくれているので、こちらも愛想を付かされないようにベストを尽くしてあとは天命を待つくらいの気持ちになれるようがんばるか。

Friday, July 22, 2011

7月21日 (木) HULTタレントショー、だそうだ。

インターン先から1本早い電車で帰ってきたのは、Graduation Committee (卒業パーティーの企画委員会) 主催の、HULTタレントショーのためだった。ヘイマーケット近くのパブで行われたこのイベントは、卒業パーティーのための資金集めが狙い。

インターナショナルビジネススクールであるHULTなので、このイベントの出し物には、アメリカ人の弾き語りのほかに、コロンビア人男女のタンゴ、ナイジェリア人の歌(計3名、やけに上手い)、トーゴ人のサックス、フランス人のギター、インド人の舞踊、といろいろあって、その中になぜか紛れ込んだのが日本人の私。初めて人前でウクレレを疲労して歌をうたう羽目になった。

学部時代に歌を歌っていたので、人前で歌うのは平気だが、楽器を弾きながらというのは初めてで思い切り緊張した。しかし、評判は悪くなかった様子だ(少なくとも評判の方が演奏の出来よりは良かった)。とりあえず参加することに意義があるということにしておく。イベント自体も盛り上がったし、貴重な体験になったし、次回があるならもっとうまくやりたいものだ。

Wednesday, July 20, 2011

7月19日 (火) 分析資料作成とミーティングと。

朝からインターン先へ。いつもより30分早い電車に乗れた。
午前中、先週私が作った資料をベースにビルと打ち合わせをして、少しコンテンツを改良したあとビジュアルを整える。私が作ったフレーム自体は採用されたのだが、分かりやすいアイコンを入れたり、色を使ったりするだけで見栄えがぐっと良くなった。見習わないと。

ランチの前に、部門のシニアディレクターのナンとシニアマネージャーのヘンリに作成した資料をプレゼン。ものすごく好評で感激してしまう。「このエクセルを元に誰かにソフトウェアを作ってもらえば、どの業界の人も買うわ」だそうで、オンラインで使えるツールにして使用権を売った方がいい、とかアイデアは膨らむ。米人の褒め上手にはいつもかなわないが、このフィードバックはかなり良いものであるらしく、ビルも上機嫌。

ランチの後は、別件プロジェクトについてメンターに説明。午前中のビルのプレゼンに比べれば、もちろん英語のネイティブ・非ネイティブの差は埋められないのだけれど、それ以上に「口頭で言葉を尽くして説明する」という作業において私にはたくさん向上の余地があるなと感じる。書く分には、それほど問題を感じないのだが。それでも、これは無難に済んだ。ただ、ちょっとくやしいだけだ。

一方で、同席したライブラリアンのスーザンのデータ処理について、メンターが少し厳しく突っ込んでいて困った。複雑なデータをきちんと整理できていなくて、イライラが伝わってくる感じ。スーザンは私にも良くしてくれているので、うまくヘルプできればいいのだが、それをしていると時間を取られて私の仕事が回らなくなる。実は私のやった作業と連携した仕事でもあるので、大枠のデザインを私がやれればラクになるのになあと思わないでもない。

このインターン先での仕事は面白い。HULTのMBAでやるのと似たような分析作業も多いのだが、これが直接企業の収益につながっているところが良くて、やはり何をするにしても学習効果を最大化するには当事者意識が必要なのだと思う。

夜7時ごろボストンに戻り、HULTに立ち寄って起業家スーザンとのミーティングに向けた打ち合わせ。明日夜、サウスボストンで彼女とミーティングを行うので、それまでに少し考えを整理しておかなければならないからだ。これに関しては、いまいち進展が見えていないところもあって、何か売上が立つ状況になってからがおもしろいのかなと感じている。下準備は確かに大事で、このことは理解しているのだが、実際にプロジェクトが走り出さないと、どうにもリアルに落として考えにくい。

Monday, July 18, 2011

7月18日 (月) ALPミーティング、ラーメン

朝からALPのミーティングだったが、やはり話が前に進まない。水曜日にはクライアントとの電話インタビューもあるので不安になってくる。同じところでどうにもぐるぐると堂々巡りを繰り返しているのだが、それを指摘したところで、結局同じところへ戻ってきてしまう。本来、前回の内容の確認としてさくっと済ませたかったところを終えたときには、すっかり午後だった。

夕方、ふと思い立って、ポータースクエアへ自転車で向かう。私の自転車はスピードの出るものではないので、20分か30分近く掛かったかもしれないが、ポータースクエア近くの建物にはいくつも日本食のお店が入っているという話を思い出したからだ。札幌というラーメン屋を発見してみそラーメンを食べた。とてもおいしい。ピカイチと同じくらいかな。スープも麺もいけるし、もやしも入っていてうれしい。でも、見た目は微妙。ラーメンの器はすり鉢だし、しかもふちがちょっと欠けている。

他の店にも次回行ってみよう。

Sunday, July 17, 2011

7月17日 (日) 祝。女子サッカー優勝。

女子サッカーのワールドカップは、アメリカ全体ではどれくらい盛り上がっているのかよく分からないのだが、インターン先では図書館係のスーザンが決勝の結果に1ドル賭けようと言ってきたくらいなので、見てる人はいるんだなあという印象。HULTには最近ミーティング以外で顔を出さないので、どれくらいの注目が集まっているのかもよくわからない。

しかし、一部新聞の報道ではESPNというスポーツ専門チャンネルでの放送しかないにもかかわらず、今回のトーナメントの視聴率が良いとかいう話も聞く。本当は今日の決勝を近所のパブへ行って見るようにすれば、その注目具合も分かったのだろうけれど、米人だらけの中で1人日本を応援するのも気が引けたし、負けたら悔しそうだったのでうちでネットで見ることにした。

サッカーの試合はすばらしかったと思う。点を取られては取り返し、PKではキーバーの海堀が大活躍して日本女子がまさかの優勝。序盤の米国の攻勢にはヒヤヒヤさせられたし、せっかく追いついて延長に持ち込んでも突き放され。そこで再度同点にするシュートを決めたのがエースの澤なのだから、やっぱりこういう人には何か特殊な力があるように思えてしまう。PKで勝利を収めたときには、思わず1人で拍手。日本にとってすごく明るいニュースになるのがうれしい。

試合終了後のFacebookには興奮した投稿がたくさんあって、なんとも気分の良い日曜日になった。さて、元気をもらったことだし、明日からの一週間も怠けてしまわないようにがんばろうと思う。

7月15日 (金) ミーティング、英作文講義、ごはん

朝からALPのミーティングが白熱。昨日のフィードバックを受けて、元々の課題であるインドの低所得者層向けのアイデアに絞って考えたい私とインド人2名 vs クライアントが好きだと言った自分のアイデアを貫きたいベネズエラ人のバトルだ。平易な言葉にすれば、「俺のアイデアの何が悪いって言うんだ、クライアントはこれが気に入ってたじゃないか、コノヤロウ」というエゴと、「元々ポイントがずれてるのが、どうして理解できないの?バカなの?死ぬの?(大げさ)」というエゴとのぶつかり合いである。情け無い・・・。

結局、午後に予定されているIXLセンターのサムとの打ち合わせの中で確認しようということになり、昼から電話をかける。ここでも張り切ったベネズエラ人が自分の意見をプッシュして、危うくサムが「じゃあ、その少し視点の違ったアイデアも入れてもいいかもしれない」などと、面倒くさいこと極まりないことを言いかけたものだから、私は全力で阻止。

フィードバックとして送られてきた「クライアントのニーズを外しているアイデアがある」という文面を読み上げる。そして、これを送りつけた上で、まだ「少し視点の違うアイデアを入れても」というのはオカシイのではないか、クライアントのニーズは何なんだ、あなたはクライアントと私たちの連絡役なのだから、先方のニーズについてもっときちんと把握してくれ、と詰めた。

で、これが功を奏し、結局、元通りに低所得者層にターゲットを絞って、次のプレゼンテーションに備えることになった。どうして、この当たり前の結論に達するのに午前を丸ごとつぶさないといけないのか意味が分からない。

夕方、IEMBAの人たちに向けて、英文の書き方のプチ講習をした。私たち英語を第二言語として話す人間にとっての英作文のコツは、ある程度決まった文章のパターンを覚えてしまうことだ。そのために使えるフレーズや、気をつける点などを30-40分くらいで解説。日本人ばかりだからと思って、日本語で資料を作っていったのだが、当日なぜかベネズエラ人(上記でバトった相手ではない)のエディスも参加することになったため突如英語でのプレゼンになった。英語でのプレゼンはできないわけではないが、やっぱり日本語に比べれば心の準備が要る。ところどころ流れが悪くなって、やっぱり継続しての練習が必要だと反省。

夜、このIEMBAの人たちとHULTの同級生の日本人で、世代間交流会をノースエンドのイタリアンで行う。HULTのMBAは一年で終わってしまうため、学年を超えたネットワークを作るのが難しいのだが、こういう機会がもてるのはうれしい。お店の段取りが悪く、店に着いてからみんなをかなり待たせる羽目になったが、料理はピザもパスタも素晴らしく、ワインもとても美味しかったので良かった。帰り道にちょっとしたアクシデントもあったが、無事に帰宅。

Saturday, July 16, 2011

7月14日 (木) ALPフィードバック

朝からインターン先で仕事をしていると、午後になってALPのメンターになっているIXLセンターのサムからメールが届く。内容は、月曜日に行ったビジネスのアイデアに対する、クライアント企業担当者からのフィードバック。しかし、この内容が私の予測と少し違っていて驚いてしまった。

ALP(アクションラーニングプログラム)というのは、HULT MBAにおける最終プロジェクトで、ボストン周辺に拠点を持つ企業に対して、ビジネスプランを提案するイノベーション・コンサルティングを行うプログラムだ。今年のボストンキャンパスでの参加企業は、欧州系大手医療機器メーカー、グローバル日用消費材メーカー、米国大手モバイル通信会社、ブラジル本社の自然派化粧品ブランド、米国大手塗料メーカーなど7社。

これら参加企業とHULTの連絡役となるのが、HULTとパートナーシップを結んでいるIXLセンター。新しい製品やサービスを生み出すイノベーションのコンサルティングを行っている。元ADLやMonitorグループなどの出身者が運営している小規模なファームで、ボストンのほかにも、いくつか拠点がある様子。IXLは、HULTでもモジュールBで必須のConsulting Methodsというコースや、モジュールCで選択科目のManagement Consultingを教えている。

このIXLセンターの方法論というのが少し特殊。まず、イノベーションの意図と狙い(どの程度の規模で、どういう要因で、何を目的とするのか)を明らかにした後は、徹底したブレインストーミングを行う。この狙いは、アイデアのDivergence(多様化、膨らませること)であり、通常ではあり得ない、今まで考えもしなかったようなアイデアが歓迎される。この膨らませたアイデアをBOMというツールを使ってマッピングし、書き記したアイデアの種を互いに線で結び付けながら、イノベーションの領域(FOP)を見つけていく。

さて、話を本題に戻すと、前回私たちがクライアントにプレゼンテーションを行ったのは、このFOPの提案を行うためだった。文献や二次調査から得た情報を元に、いくつか需要があると考えられるサービスの分野を選んで提案。このアイデアに対するクライアントからのフィードバックと言うのが、IXLの担当者経由で私宛にメールで届いた。

そのフィードバックの内容には、少し腑に落ちない箇所が2つ。私たちのプレゼンテーションの一部が、クライアントのニーズにマッチしていないということと、プレゼンのときにクライアントがいちばん気に入ったといったはずのアイデアについて一切触れられていないこと。

クライアントのニーズに合っていないという点では、実際にプレゼンを行う前にチームで激論を交わしたところだったので、分からないでもない。インドのマーケットについてのアイデア出しなのに、インドについて全く調べようとしない、自分の想像力が豊かすぎるメンバーもうちのチームにいるし、結果、私はいくつかのアイデアに対してとても強硬に反対することになった(結局時間切れでこのアイデアはプレゼンに紛れ込んだ)。

しかし、プレゼンの日にいちばん不可思議だったのは、クライアントからのコメントでいえば、このターゲットもズレていれば、狙いも違うはずのアイデアがいちばん好評を博したことだ。インドの低所得層に向けた健康状態の改善をビジネスにするという課題で、上流階級に向けたスパの話をしたのだから、いっそばっさり切り捨てられるか、完全に無視されることを期待していたのだが、「個人的にはいちばん好きだなあ」とクライアントが言い出すものだから、私は本当に困惑したのだ。

いろいろ納得は行かないにせよ、クライアントの希望がいちばん重要なので、私たちのチームはこのアイデアを含めたビジネスプランを立てようとしていた。その矢先の「クライアントの要望とずれている」なんていうフィードバックである。さて、どうしたものだろう。おそらくこの「フィードバック」はクライアントからのメッセージを元に、IXLの担当者が少し編集したり書き換えたりしているものなので、クライアントの真意が見えにくい。明日のミーティングで話し合い、IXLの担当者に相談しなければならない。

【ボストン情報】外国で美味しいごはんを食べる方法

私は、ごはんがマズいと評判のロンドンで3年くらい暮らしていたのだが、今から振り返って思うことには、そんなにマズいごはんに当たったことがない。これにはコツがあって、要は食べに行く場所を選ぶときに、現地に詳しい人からの情報を得るか、インターネットでのレビューをしっかり見ておくことだ。

現地に詳しい人がいれば、お勧めを聞けばいいし、インターネットを使う場合は、都市名とレストラン、レビューとグーグルで検索すれば、レストランのレビューサイトはいくらでも出てくる。ここで食べたい料理のジャンルや行きたいエリアで絞り込めばいい。ボストンの場合、よく使われているのが、Open TableYelp!だと思う。日本語での情報がほしければ、チャリうまというブログが有名。

それを踏まえたうえで、私の限られた経験とネットワークからボストンでお勧めのごはん屋を以下にいくつか紹介しておく(今年からHULTのMBAに来る人たちから催促された)。なお、掲載の順番は、あくまで思いついた順であって、お勧めの順番ではないことをご了承頂きたい。

○ 四季(Shiki)http://shikibrookline.com/
日本で食べるものとほぼ同じ和食が食べられる。
ただし、1人$40くらい掛かるので、私費学生にはつらい。

○ Helmand  http://www.helmandrestaurant.com/
HULTから徒歩10分にあるアフガニスタン料理。レバノン料理に似ていると思う。
大きな釜でグリルする肉類はとても美味しい。1人$30くらいか。

○ The Similans http://www.yelp.com/biz/the-similans-cambridge
上記Helmandの隣にあるタイ料理。負けじと美味しい。
Cambridgeside Galleriaから徒歩2分と近く、Galleria内の店より味は格段に上。$20-30。

○ ピカイチ http://www.yelp.com/biz/pikaichi-boston
ラーメン(みそ・塩・しょう油)、カレー、どんぶりが食べられる。各$7-10くらい(別途チップ必要)。驚くほど美味しいわけではない。でも普通のラーメンが食べられる場所を、私はここしか知らない。グリーンラインのBラインでPackards Cornerへ。駅目の前の香港市場、1階奥にある。

○ Anticoforno http://www.anticofornoboston.com/
ノースエンドにある、昨日、HULTの同級生及び来年度のMBA生から大好評を博したイタリアン。ピザもパスタもとても美味しい。魚介類も新鮮。ワインも飲んで1人$27だった。

○ The Daily Catch http://www.dailycatch.com/
イカとアサリのパスタと、イカフライがとても気に入っているイタリアン。ノースエンドとサウスボストンにあり、前者は小さい食堂。後者は少しリラックスできるレストラン。ノースエンドの店は、1人で入っても大丈夫なのがうれしい。大きなパスタが$20くらい(満腹)。

○ 小桃園(Peach Farm)http://www.yelp.com/biz/peach-farm-boston
お手ごろ価格でボリュームたっぷり、美味しい中華。チャーハンと一品を頼んで、2人が満腹になる感じのボリューム。どこで利益を出しているのかとても不明。$10-.

○ 南北和(Dumpling Cafe)http://www.dumplingcafe.com/
中華街。ショウロンポウの美味しい店。メニューの一番下にある、ポークとエビの入ったものが美味しい。2人で入ってショウロンポウとチャーハン、スープくらいをオーダーすれば、1人$10くらいと安い。

○ Atwoods' Tavern http://www.atwoodstavern.com/
HULTから徒歩15分強。Cambridge通りをまっすぐ下ったところにある。ビールの種類が豊富でごはんもそれなりに美味しく、バーテンダーの愛想が良い。毎日夜9時ごろから、フォーク、カントリー、ジャズなど落ち着いた感じのライブパフォーマンスがある。水曜のクイズナイトと金曜日はとても混み合うので、平日か土日に行くのがお勧め。

○ Summer Schack http://www.summershackrestaurant.com/
グリーンラインHynesの近くにある美味しいロブスターの食べられる店。とても美味しかったし、店員も親切。店の中は少し騒がしい。

以上、とりあえず思いついたお店を紹介。また、思い出したところがあれば追加予定。
このブログで、eat out とタブの付いたエントリーを探れば、もう少しいろいろ出てくるかも。

Thursday, July 14, 2011

7月13日 (水) 郊外インターンと起業家スーザン

朝からインターン。終了後にAndoverという町でミーティング。ごはんの後電車に乗って、ボストンへ帰る。家を出たのが7時過ぎで、帰宅が12時前になるという、日本で働いていたときと似た感じのスケジュール。MBA修了後に向けたリハビリをしているような気分だ。

インターンでは、米人ビルとのチームで市場分析のツールを作成しているのだが、夕方になって突然コーポレート本部的なところから資料のリクエストがあり、部署全体でこの作成に当たることになった。こういうバタバタは、日本でのはじめの仕事を思い出させる。よく夜の7時ごろに親会社から電話があり、今日中に何かをまとめて提出しろという指令が降ってきたものだ。

これになんとか目処をつけ、アンドーバーの町までタクシーで向かう。起業家スーザンとのミーティングはいつも長くなる。彼女の持っている情報量がとても多く、その共有に多くの時間が費やされている感じ。私は、基本的に思考の拡散よりも収縮の方が得意だと思っているので、次から次へと話が膨らんでいくと、いったい何の話をしているのだと不機嫌に(外からは見えないはず)なるので、適当なところでバランスを取らないといけない。

結局、ネットワークや顧客候補はいるのだが、サービスをどのような形で、いくらで提供し、顧客にどんなメリットがあるのかという点でビジネスモデルが完成していない。これを話し合おうとするとスーザンからの情報のインプットが必須なので、またミーティングが長くなっていく。しかし、このミーティングでは、なにかしらの進展があったように思う。次までに少し資料を作って相談できるようにしよう。

アンドーバーで8時半の電車を逃したため、ごはんを食べた後で最終10時半の電車に乗る。ボストン着は11時半。さらにバスに乗って、うちに帰ると疲れがどっと出た。忙しいのは良いことだ。

Wednesday, July 13, 2011

7月11日(月) その2 日系リクルーターと話した。

米国にある日本企業での就職について、採用コンサルをしている人と電話で話した。基本、米国での日本人現地採用は、駐在員のサポート業務が中心。グローバル化を唱える大手ほど、駐在員が実権を握って現地採用は大きな仕事に関わることができないことが多い。英国日本企業も似たような状況。現地でわざわざ日本人を採用しなければいけない時点で、企業が日本人マネジメント中心にまわっていて、グローバル化していないということなのだが、まぁ、変化には時間が掛かるものなのだ、と解釈することにしよう。

このリクルーターは、オハイオやミシガンの日系企業に日本人を紹介している様子。田舎だが、物価が低くて過ごしやすい。一般的に給与は都市部より低いが、バイリンガルなポジションについては供給が少ないためかえって比較的高給だったりする。ただ、バスや電車はないので車が必須。3-4時間程度の運転は日常茶飯事。冬が寒いとのこと。これまで車の要らない街でばかり(大阪、ホノルル、ロンドン、ボストン)過ごしてきたぼくには想像不可。ボストン郊外でのインターンと比較しても少し違いそう。

物価が低いので、現地の米人たちは20代でローンを組んで家を買う。落ち着いた田舎暮らしができるとのこと。別に都会でパーティー三昧の生活がしたいわけではないが、ある程度のスピード感のある街の方がいいかも。怠けてしまいそう。

翻訳、経理、アドミ、駐在さん世話などの仕事であれば、新卒1年目でもできる業務なので、こっちで面白い仕事がしたければ、日系企業の優先順位は下がるなあという印象。ただし、こっちに残ってビザを取ってしまうことが優先事項ならば、手持ちのスキルを売るのはアリ、か。

あと、受けたアドバイスとしては、米国と日本を両方視野に入れて、という就職活動はよした方が良い。基本、どちらもマーケットは厳しいので、逃げ道を作っていて何とかなるようなものではない。留学後、日本に帰ったのに米国求人へ応募してくる人がいる。こういう人は日本でも決まらない様子。

「帰国後米国求人に応募」と「日本で就職が決まらない」の因果関係は、どっちが原因でどっちが結果だか怪しいものだが、日本へ帰ろうかなどうしようかなと考えている状況で、異国での仕事が決まるわけがないというのは感覚的に腑に落ちる。引く手数多の超絶スキル持ちなら知らないが。

英国及びこっちの4年間で男性リクルーターと話したのは初めてな気がする。なんとなく女性よりやりやすいかも。


【以下、メモ】

内向的な人のための自己PRレジュメの書き方(英語)
http://marketing.theladders.com/career-advice/introverts-guide-to-resume-self-promotion?et_id=2175476000&sign=y&link_id=536
最新式レジュメの書き方24(英語)
http://marketing.theladders.com/career-advice/24-step-modern-resume
経歴と資格が立派過ぎますよに対応する方法(英語)
http://marketing.theladders.com/career-advice/how-to-handle-youre-overqualified-interviews

7月11日 (月) プレゼン、シュウカツ、エネルギー

朝からALPのプレゼン。クライアントがHULTにやって来る。彼らの企業に向けた新しいビジネスのアイデアを5つ発表し、クライアントが選んだ1つか2つのアイデアを、次回までにもう少し練ったビジネスプランにすることになる。テーマはインドの貧困層市場を開拓して、生活と健康のレベルを上げるためのビジネスプラン。

プレゼンをインド人キショウとラフールに任せ、私はゆっくりしていられるはずだったのだが、予想外に朝からスライドの修正に追われる羽目になった。目が覚めて、チームメイトが夜中にデコレーションを加えたスライドをチェックすると、誤字脱字、小さすぎる文字、微妙なレイアウト!思わず普段は使わないビックリマークを使わずにいられないくらいにびっくりした。これはクライアントの前に出したくない。HULTに着いて、すでに登校していたヘレンやキショウに事情を話し、PCルームで作業する。バタバタとしてしまうのは嫌いなのに。

結局、時間内にできる限りの修正をして、いざプレゼン。割と和やかなムード。しかし、アイデアが出揃ったところで、まさかの展開。クライアントに採用されたのは、私たちのチームの案の中で最も完成度の低いと思っていた2つのアイデアだった。そもそも売上を立てる計画が欠如していたり、与えられた課題(インドの貧困層向けビジネス)とかけ離れた富裕層向けスパを提案していたり、今後のプロジェクト進行に不安がよぎる。もしかして、無茶なアイデアをプランに落とせるかどうかを試されているのだろうか。

終了後、チームでミーティングをして、今後の予定を検討。とりあえず案を出した2人に改善点を確認し、それぞれもう少し練って次のミーティングに持ってきてもらうことにする。

夕方、HULTエネルギークラブによる第1回カンファレンスが行われた。放射性のある材料を使うが、今の原子炉よりずっと安全だというトリウム炉についての基調講演があり、別のパネラーからは、CCS(Carbon Capture and Storage)というCO2の排出を削減する方法やそのコスト、CO2に関係するファイナンスモデルの話などがあった。

質問の時間に、日本では原発推進派と、原発反対で自然エネルギーにシフトせよという派との間で、どうにも極端な議論にならない議論が交わされているが、識者として何か思うところを聞かせてほしいと質問してみた。返ってきた答えとしては、現時点での賛成か反対ではなく、ある程度の長期的視点に立って、エネルギーソースの配分を考えていかなければならないということ。仰るとおり。だけど、具体的な方針に落としていくのが難しいのだろう。利害もたくさん絡んでいるし。

この日の学びについては、調べ物をしてツイッターにメモを取ったので、後でまとめてこのブログにもアップできればなと思う。

Saturday, July 9, 2011

7月8日 (金) ALP、ヘレン暴走、ピザ

10時からALPのミーティング。クライアント企業の担当者と電話ミーティングがあり、各チームの代表が集まる。私のチームからは、私とオスが参加するはずだったが、オスは突然体調を崩し病院へ行くため参加できないとのこと。しかたないので、1人でチームの現状のアイデアを説明して、クライアントからフィードバックをもらう。現段階でのアイデアを3つ話したところ、2つを気に入ってくれて、情報のインプットをもらえた。良い感じだ。

午後、チームとのミーティングでは、このALPのサポートを行っているIXLセンターの担当者であるサムとスカイプで話す。新しいビジネスを考えるのが課題なのだが、まずはラフなアイデアというかネタ程度のものを10コ程度用意して説明、フィードバックをもらいながら月曜までにもう少し練られた5つのプランにすることに。これも順調に進んでいるように思えた。

しかし、問題はこの後。サムのフィードバックをもとにアイデアを5つに絞り、それぞれ考案者から軽くおさらいをした後、みんなで議論をしようとなったのだが、1つの元となるネタを用意したへレンの説明が全く意味が分からない。ターゲットは誰で、何を、どうやって提供するアイデアなのか、3つのポイントに絞って話せと言っているのに…。本人も迷っているのなら手助けもできるのだが、本人は分かっているつもりなのが余計に性質が悪い。結局、私が彼女の話を理解して解説し直すまでに、一時間近くを使ってしまい、他のメンバーの士気も思い切り下がってしまった。英語ではなく、思考の論理性の問題だ。

夜は、日本のハードウェアにアメリカのOSが入っているという噂のコンサルタントH氏と、ケンダル駅の近くでピザを食べた。美味。10代前半で渡米し、ものごころ付いてからはずっと米国にいるので、外見は日本人だが、思考回路が米人という話。機会を見つけてHULTの面々にも紹介したいところだ。

Thursday, July 7, 2011

7月6日 (水) MRes ファイナル

朝からミーティングがあり、午後にマーケティングリサーチのファイナルプレゼンテーション。なんともやり難いチームで大変だったが、内容としては発表した6チームの中でいちばん作りこまれていたと思う。なにはともあれ、これでHULTでの授業が全て終了した。残りは、インターンシップとALPなので、学校へ行くのはミーティングのあるときだけである。時間の早さにびっくりしてしまう。

いま、HULTには、この夏からMBAを開始する日本人学生が5名、IEMBAという英語のスタディスキルを学ぶコースにやって来ている。8月から、私たちが去年通った忙しくてストレスの高いモジュールAやモジュールBを経験していくのだなと思うと、なんとか効率的に切り抜けるコツを伝えたいなと思う。

あとは、私の就職活動だ。結局もうしばらく米国に滞在してビジネスの経験を積み、将来的に日本に帰るときにバリューを出せるようにしたいが、年内に決まらなければとりあえず学位だけを持って帰国することになる。なんとも、これは避けたい。

夜、IEMBAの人たち3人を連れてお気に入りのバーで食事をした。雰囲気の良いお店だし、スタッフも楽しいアメリカ人ばかりなので、気に入ってもらえた様子。

Tuesday, July 5, 2011

7月4日 (月) アメリカ独立記念日

今日は米国の独立記念日のため学校は休み。これにちなんで(?)、クラスメイトたちは昼の2時からHULT前にあるNatural Reserve (公園のようなもの) で、「カウボーイ対インディアンズ」と名付けた水鉄砲バトルに燃えていた様子。

なお、独立記念日にはバーベキューをするのが米国のしきたりのようで、クラスメイトたちもこれに従っていた。私は、外に出るのも億劫だったので、ここぞとばかりに家を掃除したり、ウェブで仕事探しをしたり、手に入れたけれど使いこなせていないiPadを触ったりして過ごした。

この日のメインは夜8時半からMGH近くで行われたボストンポップスの演奏と、それに続く盛大な花火。クラスメイトが昼間水鉄砲バトルを繰り広げた広場へ自転車で行って、今は工事中で走っていないグリーンラインの高架越しに花火を見た。30分程度の花火はとても美しくて、適度に暑いボストンの夏の夜空に大きな火花を飛ばした。

Friday, July 1, 2011

マーケティングリサーチより動画

マーケティングリサーチの第1回の授業で使ったビデオが面白かったので紹介。


とある屋敷で殺人事件が起こり、容疑者は3名。それぞれの証言を元に探偵が犯人を捜す。名推理によりスピーディーに事件は解決したかと思いきや・・・。

私は単純な人間なので、こういうのにすぐに引っかかる。

Wednesday, June 29, 2011

6月28日 (火) ミーティングで暴れてみる

8.00 am MRes MTG
8.30 am MRes 講義
11.30 am ランチ
12.00 pm ALP MTG
3.00 pm MRes MTG
5.00 pm キャリアMTG 議事録

スケジュールも詰まっているのだが、マーケティングリサーチ、ALP、その他ネットワーキングやインターンがらみなどでミーティングが多い。そして学校でのミーティングの進め方にはいろいろなパターンがあり、それがメンバーによって必ずしも効果的ではなかったりする。まずいなと思ったときには方針変更を促すためにいろいろ手を打ってみるのだが、どうしてもうまく行かない場合というのがある。

今日は2つあったミーティングがどちらも雰囲気が良くなくて、どうしてもNOを唱えないといけなかった。1つは、スケジュールについての合意が難しく、もう1つは議論の進め方が困ったことになっていたからだ。

木、金、週末と祝日を挟んで火曜日に毎日4時間のミーティングをやりたがるメンバー3名に対し、私はスケジュール的にそれは不可能だと突っぱねる。結局、木曜日は私は不参加、他の面々は30分の打ち合わせだけを行い、金曜のミーティングも2時間に短縮させることに成功 (そして疲弊)。

疲れて臨んだ次のミーティングでは、やる気に溢れたメンバーの1人がたくさんのアイデアを持ってきたのだが、これがなんともコメントしづらいものばかりで、なおかつ説明が下手で時間ばかりが過ぎていく。不明な点を説明してくれるように頼むと、まるで詰問されているかのように過剰な反応が返ってくる。これも、相手を泣かせるかのような勢いでミーティングの流れを元に戻す必要があり、どうにもこうにも後味が悪い。

どちらのミーティングにせよ、多対1の状況でNOを唱えるときには、どうしてもある程度の強硬さが必要になるのだが、数人を説き伏せる感じでしゃべった後というのは、どうにも気分が優れない。相手に受け入れられるように指摘をできるようになりたいのだが、なかなかこれが難しい。

夜は、またしてもショウロンポウを食べた。すっかりハマっている。

Tuesday, June 28, 2011

6月27日 (月) ミーティング、ミーティング、ミーティング

8.30 am マーケティングリサーチ
1.00 pm ミーティング準備
1.30 pm ALP ミーティング
4.30 pm キャリアオフィスとミーティング
5.30 pm マーケティングリサーチミーティング
7.15 pm 電話ミーティングがキャンセル

ALPのはじめのプレゼンが水曜日のため、ブレインストーミング気味なミーティングを行う。いまいちみんなプロジェクトの進め方の認識にズレがあるのか、かみ合っていない。特に悪いのは、ミーティング中にそれぞれがラップトップのスクリーンに見入ってしまうこと。こうなるとアイデアの相乗効果が生まれない。

チャイナのヘレンが先頭を切って議論を進めるのだが、ときどき話がずれたり、何を言っているのか分からなかったりするので、交通整理が必要。インドをテーマにしたプロジェクトで、キショウとラフールというインド人が2人チームにいるのだから、彼らのローカルなナレッジを引き出すことで、アイデアを膨らませたいところなのだが。

キャリアオフィスとのミーティングでは、割と良い仕事ができた。過剰に敵対的、防衛的にならないように、まず席の配置から注文を付け、学生 対 オフィスという陣形を崩した。意外と効果覿面 (テキメンってこういう漢字なのか)。

基本、HSAの面々が学生から聞かされるのは批判、不満、文句の類なのだが、これをそのまま伝えても、かえってキャリアオフィスの対応を硬化させるばかり。「こういうことはできないだろうか?」と提案しながら、向こうの「できない理由」をつぶしたり、はぐらかしたりすることが必要。今のメンバーでは、南米系のムッツやオスがストレートな物言いをして、アジア系のウェンディと私が緩衝材になるような形。

緩衝材役と言うのは、けっこうダメージが大きいので、この後のマーケティングリサーチのミーティングでは、少し疲れも出ていたのだが、そんなときにインドのソニア嬢が今週のミーティング計画として、毎日3-4時間を取ろうとし始めたものだから、かなり意地悪をしてしまった。意地悪な対応になってしまった点は反省すべきなのだが、しかし、一日中HULTにいて勉強だけをしていればよかったモジュールAではなく、各々にインターンやネットワーキング、そして重要なALPという最終課題もあるのだから、ソニアのミーティング案はとりあえずナンセンスである。

ミーティングは、短く設定することで、時間内にゴールを達成する意欲が生まれるものだ。元々4時間で予定されて、時間中ずっと生産的だったミーティングなど見たことも聞いたことも無い。ブレインストーミングやチームビルディングを目的にしたミーティングに関してはこの限りではないが、今はそんなことをやっている場合でも全くない。彼女には悪いけれど、ここは譲らずにミーティング回数を削減、時間を短縮する方向で進めることにする。

夜に予定されていた起業家スーザンとの電話会議がキャンセル。家庭の事情らしい。9時過ぎに電話をかけるかも、と言っていたのだが、これも来なかった。何か問題が発生しているのだろうか。少し心配だ。

Saturday, June 25, 2011

6月23日 (木) マーケティングリサーチ、ショウロンポウ

朝からの授業は、マーケティングリサーチ。

マーケティングリサーチとは何かという問いから始まるこの授業は、市場調査を行うための手法を細かく学ぶのではなく、このリサーチとはなんなのだとか、どういう風にプロジェクトをデザインするかなど、マネジメントレベルで必要となる内容を扱うとのこと。

またリサーチ結果というのは、受け取り手の意思決定を補助するものであるというが、受け取り手は情報を脳で判断し、大脳、中脳、小脳の働きがちがうので、相手の必要としている情報だとかを考慮しないといけないとか。少しぼんやりとした話だが、確かに面白い。ただインターン先での業務に使えるかなと思って選択した科目なので、いまいち実務とは結びつかないようにも思えなくもない。今後の授業次第か。


関係ないが、最近友人に連れられて行ったチャイナタウンの南北和 (Dumpling Cafe) のショウロンポウがやけに美味しかったので紹介。これとチャーハンを頼んで2人で合計13ドルで済んでしまう。



南北和 (Dumpling Cafe)
695 Washington Street, Boston, MA
オレンジライン「Chinatown」駅から徒歩2分。
グリーンライン「Boylston」駅から徒歩6-7分。
http://www.yelp.com/biz/dumpling-cafe-boston

Tuesday, June 21, 2011

6月20日 (月) インターン、モジュールD、ショウロンポウ

インターン先のオフィスでは、2つのプロジェクトに参加している。コンサルティングファームや下請けの調査会社などのベンダーを把握して、定期的な評価を行うようにするプロジェクトが1つで、いくつかのマーケットにおける行政、病院、消費者などのステークホルダーの動向をざっくりまとめたランドスケープを作成するプロジェクトがもう1つ。今日は終日オフィスにいて、もらった資料を読み込んだり、まとめたり、いくつかミーティングがあったり。

水曜日からは最後のモジュールDが始まって、私はマーケティングリサーチという授業を選択するつもりだ。実は他の科目を希望していたのだが、今の仕事や関心のある分野での仕事につなげるのに、調査手法をもっと詳しく知っておきたいと思ったからだ。インターンのスケジュールにも影響するので、メンターに相談したところ、リサーチの授業を取るのはとても賢明な判断だと背中を押してくれた。

チームのスーザンがいつもと違う駅まで車で送ってくれたので、いつもより早く夕方6時半すぎにボストンに戻ることができた。何か美味しいものが食べたい気分だったので、Y氏と合流してチャイナタウンでショウロンポウを食べた。モジュールDの始まりを意識することで、HULTでの残り時間も少なくなってきていることが実感として感じられてくる。遣り残したことがないようにしないと。

Sunday, June 19, 2011

6月18日 (土) イタリアンランチ、ロブスター、ゴスペルナイト

とても盛大に羽を伸ばした一日。まずお昼には、North Endというイタリア人街でランチとお茶。


街は、ボストンをベースとするBruinsというアイスホッケーチームがスタンレーカップ優勝パレードを行うため、黄色や黒のユニフォームを着た人で溢れかえっていた。むしろ背番号のついていない自分が申し訳ないくらいだ。

ハーバード、MITやボストン大学 (通称BU) の研究者や、米国暦の長い方々と一緒に美味しいパスタやピザを楽しんだ後で、カフェでエスプレッソを飲みながらどうでもいい話をする。Cafe Vittoriaというカフェのエスプレッソはとても美味しいのだが、私が特に気に入っているのは、バニラのジェラートにエスプレッソをかけて食べる方法。アフォガートというらしい。山盛りで運ばれてくるジェラートを器に収まるくらいまで食べたら、その上からエスプレッソをかける。同じものを注文したT氏は、ここまでにエスプレッソを飲み干してしまっていたのが残念。笑。

その後、天気がよかったので、次の待ち合わせ場所であるCopleyという駅まで一時間ほどの散歩。Summer Shackという店でロブスターを食べた。なんだか食べてばっかりだ。2ポンド (約900g) のロブスターを3人で分けたのだが、ここのロブスターはとても美味しかった。今までロブスターを何度か食べたが、なんとなく身が緩いし大味なように感じられて、いつもいちばん美味しいのは松葉ガニと車海老だと思っていた。しかし、ロブスターにも美味しいものがあるのなら、少し考えを改める必要もあるのかもしれない。


この日のメインは、ボストンポップスのゴスペルナイト。ボストンのオーケストラが夏場や冬のオフシーズンにだけPOPSを演奏するらしい。会場はシンフォニーホール。


ゴスペルはとても楽しかった。前半が子どもたちによる演奏、後半が大人だったのだが、どちらも違った良さがあって、演奏時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。どちらにも共通しているのが、声の迫力、美しいハーモニー、テンポのよさ、そして歌い手の笑顔。


神に祈りを捧げる黒人霊歌であるゴスペルを聞きながら、ぼんやりと考えていたことがある。バカバカしいかもしれないが、どうして人は歌うのだろうとか、どうしてゴスペルというものが生まれて、こんなふうな形に発展したのかということ。

1つ思ったことは、音楽を共有することや、声を合わせるということは、歌い手にも聞き手にもとても強い連帯感を生み出すということだ。本質的には利己的な人間が、集団の活動に参加し、同じものを尊ぶことで、協力し合えたり、互いを思い遣ることができたりするのかもしれないなと。そして、ゴスペルのすごいところは、この連帯感が形式ばった儀式からではなく、全身を使った表現から生まれるため、とても強い感情的なつながりを生むこと (このあたりはスポーツも似ている)。

現代社会に必要なのは、楽しい合唱なのかもしれないなと安直なことを考えながら、今日は遊びすぎたと反省してうちに帰る。

Thursday, June 16, 2011

6月16日 (木) オフィス、バタバタ、たな卸し

火曜日に日本から帰ってきたが、しばらくブログを書いていなかったため、書き方を忘れてしまったような感覚に陥っている。まあ、とりあえず気を取り直して、再開してみよう。

今日は、朝からインターンのオフィスへ。最寄り駅まで1時間ほど電車に揺られるのだが、車内のWiFiを使って、メールの返信、友人から頼まれた翻訳や、ブログの更新、RtRのボランティア翻訳などをしていると、意外と集中できるらしくて効率が良い。

久々に顔を出したオフィスでは、チームの面々に挨拶をしたり、同じ時期にハネムーンに出かけていたビルの話を聞いたり。午前中は特に急ぎの用もなかったのでリラックスした雰囲気。午後、チームのミーティングと、少しのエクセル作業。ナレッジセンターのスーザンの仕事を少し手伝ったところ、出来栄えが気に入ってもらえたようで幸い。

HSAの面々からいくつか急ぎのメールが来たり、最近関わり始めたベンチャー企業のスーザン(名前が同じでややこしい)とのやり取りがあったり、日本の友人がドバイで行う講演の原稿翻訳の仕事を引き受けてみたり、明日はソーシャルイノベーションのファイナルだったり、相変わらずバタバタとしている。少し手を広げすぎた感が否めないので、明日の試験が終わったら、週末にタスクのたな卸しをして、気分も落ち着けるようにしたい。

Wednesday, June 15, 2011

6月15日 (水) ソーシャルイノベーションの最終プレゼン

朝からヒルダ嬢の「昨夜レポートが終わらなかったから今から学校でやるわ」というメールに苦笑。プレゼンが12時半で、ここでレポートも併せて提出となるのだが、午前中だけでプレゼンの準備とスライドの完成とレポートまで仕上げるのは無理っぽいなあと判断。そもそも、レポートが終わっていないということは、プレゼンする内容の細部がまとまっていないということだったりする。

とにかく、プレゼンはきちんとやって、レポートは教官のローレンスが学校を出る前になんとか受け取ってもらうことにしようと考え、スライドを仕上げて、プレゼンのざっくりしたスクリプトを考える。

英語でのプレゼンテーションは、やっぱり表現の幅が足りずにもどかしい思いをすることも多いのだが、少しコツはつかめてきていると思う。大切なのは、スライドを送ったとき、はじめに言う一文がそのスライドのメインメッセージであり、ここを外すとわけが分からなくなる。「要するに全体像はこうなります」だとか「○○という成長中のトレンドがあるのです」とか、シンプルな一文で聞いている人の理解を取り付けてしまえば、あとは都合が悪くならない程度に説明して次に進めばいい。

プレゼンテーションでは、前半を担当したヒルダが噛みまくった。彼女は自分でも認める完璧主義者なので、100%の自信がないときには必要以上に困惑した感じが表面に出てしまう。後半を引き継いで、とにかくシンプルにアイデアだけを伝え、手が回らなかったパートについては大枠だけを話してお茶を濁し、とにもかくにもプレゼンは終了。

レポートもヒルダが午前中にいじっていたのだが、結局まとまらなくなったものを、半分強引に転送してもらい、あるだけの情報をまとめなおして提出した。あとは好きなように手を入れて提出しておいてね、と作成したレポートをヒルダに戻すと、提出期限をすでに破ってしまっているのに、まだグーグルを開いていたり、図の色を変えようとしていたりで、気持ちは分かるけれど、そういう状況じゃないんだよなあと。それにしても困惑した彼女を見てるいと、なんだか自分が悪いことをしているようでなんとも後味が悪い。

自分の性格的に、チームワークの中で責任を果たすとか、みんなを同じ方向へ向かわせること、あとある程度のロードマップを描くとかいうところには強みがあると思うが、いっぽうでムードメーカー的な役割は苦手だなとつくづく思う。愛嬌が全くないわけではないと思うのだが。

6月14日 (火) ボストン、ソーシャルイノベーション、チームワーク

サンフランシスコを夜の11時に出る予定だった飛行機は、機体のトラブルか何かで1時間近く遅れて、朝の8時15分にボストンのローガン国際空港に到着。チェックインしていた荷物を受け取って、タクシーに飛び乗り、HULTに到着したのが9時前。空港が街から近いのは良い。

ソーシャルイノベーションの最終授業では、Oxfamというチャリティー団体の人がゲストスピーカーに来て、企業や政府とのパートナーシップについて話してくれた。私にとってOxfamはロンドンの街のあちこちにある黄緑色のサインが目立つチャリティーショップの運営団体だったのだが、実際には企業との連携で、貧困をなくすためのさまざまなプログラムを行っている。

昼休み、他の荷物はHULTに置いておき、まずスーツケースだけを家まで運び、銀行で家賃を払って、またHULTへ戻る。次の日がソーシャルイノベーションの最終プレゼンテーションと、最終レポートの提出だったからだ。アイスランドのヒルダとチームで日本にいる間から作業を行っていたのだが、両方が細かいピースを下書きし、彼女がレポートをまとめ、私がスライドを作ることになっていた。しかし、進捗を覗き見るに、どうにもレポートが進んでいる感じがしない。発表が翌日昼なのでどうにも嫌な予感がする。

とにかくスライドのフレームを作っておいて、細かい点は後から直せるようにする。そしてレポートで彼女が固まって進まなくなっている部分を書き上げ、負担の小さい方を彼女に任せるのだが、どうにも筆が進んでいない。私も合計30時間の移動直後なのでアタマがどうにも働かなくなって、とにかくできたピースをヒルダが持って帰ってまとめ、翌朝、プレゼンの準備をしながらレポートも仕上げるという少し不安な計画を立てることになった。

帰宅して、スーツケースの整理に手もつけず、泥のように眠る。
朝まで眠れば時差ぼけはしないはずだ。

Friday, June 3, 2011

6月2日 (木) インターン、ネットワーク、一時帰国

朝からインターン先のオフィスへ。お昼前にメンターと打ち合わせをしたところ、これから8月までに3つくらいのプロジェクトに関わらせてもらうことができるらしい。市場調査や競合調査、そして取引先選定に関わる業務まで幅広く、どれも経験として貴重なものだ。この面倒見の良いメンターに当たったことは、今年度のHULTのボストンMBA学生の中で私だけの超幸運だと思う。

午後にはチームのミーティングがあり、取引先選定のためのデータ整理の方針が決まった。私は明日から日本へ短期帰国するので、現地から余裕があれば作業を手伝う形になる。

夕方5時にオフィスを出て、最寄り駅でWiFiでインターネットに接続。アメリカはこの無線インターネットの普及が日本より進んでいて便利だ (実は日本の状況は長らく知らないが)。接続スピードも英国と比べれば雲泥の差。1時間ばかりのスカイプ会議に参加した。

以前HULTで行われた地元企業とMBA学生とのネットワーキングイベントで知り合った、ソーシャルメディアとハイテク関連の起業家と話をするため。これも、貴重な縁だと思うので大切にしたい。日本で起業している友人は何人かいるが、アメリカでの起業というとスピードが違うような気がしたり、エンジェルのような人が多かったりするのではないかと思う。ただ、想像の範囲を出ないので、結局やってみるに限るわけだ。

うちに帰ったらやけに疲れていたのは、前日からの寝不足と、突然仕事が増えたことによるプレッシャーもあったからか。ひとまずぐったりした後、荷物をスーツケースに詰め込んだ。さて、日本へ帰ってこよう。

Monday, May 30, 2011

【ボストン情報】ちょっと変わったごはん

最近、ちょっと変わっていて美味しいお店をいくつか発見した。忙しいMBA生活の中で、HULT内のバーLingoや、Cambridge Galleria内のフードコート、ボリュームとカロリー満点のCheesecake Factory、アメリカナイズされた中華P.F. Changに飽きてしまった人は、ちょっと気分転換に美味しいものを食べに行くと良いと思う。

1. HELMAND Restaurant (アフガニスタン料理)

(ウェブサイトより。実際にはビーフがもう少し大きかった)

HULTから歩いて10分とかからないCambridgeの1st Streetにある。ケンブリッジガレリアを越えた次のブロックには、この店と隣のタイレストランが並んでいる。このタイも美味しくて過去に何度が足を運んだが、レアなせいもあってインパクトではこのアフガン料理の勝ち。
アフガン料理と聞いて当初全くイメージが沸かなかったのだが、レバノン料理に少しインドのスパイスの影響が加わった感じ、というのが食べてみての印象。ラムやビーフを大きな釜で焼くので、肉類はとても美味しい。全般的に野菜も多くてヘルシーだし、付けあわせがライスなのもお腹が落ち着いて良い。3名で行ったとき、前菜を3人で分けて、メイン各1品、ワインをデキャンタでもらって、1人当たり$30 - 40。

HELMAND
143 First Street, Cambridge, MA 02141
http://www.helmandrestaurant.com/


2. RANGZEN Tibetan Place (チベット料理)

Rnagzen Cambridge Tibetan Cuisine
店内の様子 ウェブサイトより。

Cambridgeのセントラルスクエアから徒歩5分。HULTからKendallまで、朝夕に青いバス ($2) と、ガレリアから無料シャトル (20分毎) が走っているので、そこからは徒歩圏内 (10分程度)。HULTから歩けば、30分くらい。ボストンは交通機関があまり便利ではないので、いやおう無しに良く歩くことになる。
これもチベット料理のイメージがなくて、全部が精進料理のようなものだったらどうしようかと思っていたが、実際には肉類も魚介類も食べられる。食べ物は、餃子が美味しい。あと、油と化学調味料の少ない中華料理という感じ。炒め物、ヌードル、チャーハンなども、全部美味しかった。チベットらしいもので言えば、バター茶がある。少し塩味で不思議な飲み物。予算は4人でたくさん食べて1人$20だった。

Rangzen Tibetan Place
24 Pearl Street, Cambridge, MA 02139
http://rangzenrestaurant.com/
http://www.yelp.com/biz/rangzen-tibetan-place-cambridge


3. Tres Gatos (タパスバー)


(写真はYelp!より)

オレンジラインのBack Bayから39番のバスに乗れば行ける、こじんまりとしているけれど活気に溢れたタパスバー。Jamaica Plainは治安があまり良くないと聞いていたが、メイン通りを歩く限りは全然大丈夫とのこと。帰りは夜道だったが、特に危険な雰囲気も無し。
料理はイベリコ豚のハム ($12 訂正しました) がほんとに絶品。チキンのコンフィ ($10) や、エビのガーリック焼き ($10) も美味。赤ワインも美味しいものが揃っていた。本屋とレコード屋が併設されている (と言うかそちらが本業らしい) ので、今度はそちらも見てみたい。ドリンクが進むので、1人2杯飲んでしまうとして、予算は$30と少しか。

Tres Gatos
470 Centre Street, Jamaica Plain, MA 02130
http://tresgatosjp.com/

5月28日 (日) 散歩

先週くらいから、ボストンに夏がやってきている。これまで良い天気がやって来る度にいつも「ついに春が来た」と言っては、数日後だとか、酷いときには数時間後だとかに訪れるどんよりした天気裏切られ、クローゼットに仕舞いかけたジャケットを結局また引っ張り出すというパターンが続いていたのだが、この1週間くらいは、半そでで出かけられる陽気が続いている。

日曜日、気分がよいのでチャールズリバー沿いを散歩してきた。セントラルスクエア近くのFlourというカフェで、ローストラムとクコの実が入った美味しいサンドイッチのランチを食べた後、ドームのデザインが素敵なMITの図書館の前を通って、チャールズリバーにたどり着く。


HULTは、MITやハーバードと同じケンブリッジに位置している。対岸がボストン。ただし、一般にボストンというと周辺のいくつかの市を合わせた大ボストンエリアのことを指すみたいだ。ボストンの人は、ヨットやカヌーでチャールズリバーを漂うのが好きなようで、対岸には白い帆がたくさん見える。冬の間には、この広い川が完全に凍り付いてしまうのだから不思議なものだ (そうでもない、か)。


停泊中のヨット。航海に出たくなってしまう。大阪にいた頃も、1人で意味もなく自転車をこいで海を見に行ったことがあるが、水の流れの上をぷかぷかと漂う船を見ているとなぜか気分が癒される。ふとアタマをよぎったフレーズ、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」というのは、鴨長明が書いた方丈記の冒頭だが、まさかチャールズリバーを見ながら盛者必衰の無常について考えることになるとは。そんな気分転換も悪くない。


広い河を眺めて、少し写真を撮って、サイクリングを楽しむ人たちに追い越されて。私が歩くのは、せいぜい狭いサイドウォークだ。マイペースで行くしかないか。

Saturday, May 28, 2011

5月27日 (金) マーケ、HSA、中華壮行会、南米パーティー

8.30 am Solutions Marketing
3.30 pm HSA Meeting
5.00 pm Skype Conference
6.30 pm Farewell
10.00 pm Os BD

朝からソリューションマーケティングの授業があった。Thought Leadershipという少しつかみどころのない概念についての授業だ。意味を自分なりに噛み砕くと、「ある特定分野について知識を持っている者として、業界や関係者から優れた受ける承認」。例えばHULTはビジネススクールとしては珍しいNGO (Water.orgやクリントン財団) との提携でグローバルケースチャレンジを行ったことで、新しい取り組みを行い、ビジネスとソーシャルな問題を結び付けようとするグローバルなビジネススクールとしての認識を関係者から得たのかもしれない (それが得られた確証はないけれど)。

後半にはアクセンチュア (http://www.accenture.com/us-en/Pages/index.aspx) のはいパフォーマンス・リサーチセンターのダイレクターであるポール・ニューマン氏がゲストスピーカーとしてやって来て、自社のThought Leadershipへの取り組みについて語ってくれた。知らない分野の内容について早口で話されると、しばしばアタマが追いつかないのだが、とにかく企業としていろいろな取り組みがあることは分かった。

午後には、HSA (自治会) のミーティングがあり、スチューデントサービスやITとオペレーションの担当者などとHULTでの生活全般について話し合う。ここ数日、インターネットのサーバーに問題が起こっているらしく、この事情を聞いたりする。そのほかに、キャリアサポートに対しての学生の要望を伝えたり、また、卒業パーティーや卒業アルバムについても、学生が主体となって計画、運営するので、この予算や進捗に関する打ち合わせをしたりもする。

HSAに入っていることのメリットは、要望について自分の言葉で発信できるし、フィードバックを面と向かって受けられるので、とにかく納得感が高いということ。大きな組織では、なにがどうなっているのか分かりにくいと感じられることが多いと思うのだが、私は性格的にこれを極端に嫌う。あとは、私たちが受けとる情報を学生全体に共有していければいいのだが、今のところこれがあまりうまく行っていない。議事録は上がっているのだが、読んでいない人が多いし、読んだ上でも解決しようのない我侭ばかりを言う人もいる。

私たちの一年前にHULTでMBAを取得し、その後半年間のMFIN (Master of Finance) を先日修了、これから米国を離れることになる先輩S氏の壮行会。チャイナタウンでごはんを食べながら、米国での就職事情について聞くと、やはり状況は厳しくて、昨年、国籍もグリーンカードも無しで米国での就職を見つけた同級生は3人しか知らないとのこと。

私と同じように企業でインターンをしたあと、OPTを使って1年間滞在した学生たちも、これが本就職に当たってH1Bビザへの切り替えとなったときにうまく行かず、最近になって母国へ帰っていった人が複数いる。今のオフィスにもHULTの卒業生のインド人が1人働いていて、オフィスへ向かう電車の中で知り合ったのだが、彼もOPTが9月末で切れるようなので先行きが見えないと言う。私も今のインターン先に甘えないで、週末はもっと就職探しに時間を費やした方が良い。S氏がいちばん強調したのは、結局米国での就職において一番重要なのがネットワークだということ。誰かからの推薦なしに仕事を見つけることはとても難しいようだ。

その後、正直とても疲れていたのだが、ベネズエラのオスの誕生日パーティーへ向かう。最近、マーケのチームでも、HSAでも彼のパフォーマンスがあまり良くなくて、周りとの関係も少しギクシャクしているように思うので、こういう機会にリレーションをマネジメントしておくことはとても重要だと思ったからだ。結局、互いの人としての好き嫌いというのはチームのパフォーマンスに大きな影響を与える。世界中どこへ言っても変わらない。オスは元々とても気の良い兄貴肌なので、私にはない面倒見のよさや、みんなで何かをしようというアイデアをたくさん持っている。良い面を発揮してくれれば力になるのだが。

パーティーは正直大変だった。狭い室内2ベッドルームのマンションの1室で、騒音としか思えない音量で音楽を鳴らし、踊り、吠え、テキーラのショットを飲み干す。日本を離れてからいつも不思議に思うのは、どうしてみんなそんなにうるさいのが好きなのだろうということ。原始部族が日常を離れる機会である祭において、火を焚き、楽器を鳴らし、麻薬を吸入して、理性を失わせてトランス状態となるのと、同じような光景が目の前で繰り広げられているように見える。

12時になって隣人からクレームがきたにも関わらず、音量を下げてパーティーは続く。もちろん時間とともに音量は元通りになる。そんな中、私もテキーラを勧められ、初めは断っていたのだが、徐々に押しに負ける。部屋の中にいて断り続けるのは無理だ。結局3杯くらい飲んだ。ショットのあとにライムではなくオレンジを口にすると、ライムよりもたっぷりの果汁がテキーラの濃いアルコールを中和してくれるように感じた。

帰りは電車が終わっているのでクラスメイトがうちまで送ってくれた。とりあえずオスが私がパーティーに現れて、一緒に酒を飲んで騒いだことをとても喜んでくれているようで、次のミーティングではみんなで少し友好的な解決策に向かえるのじゃないかと思う。土曜と日曜は、少しゆっくりしながら、HSAミーティングの議事録、マーケティングのスライド作成、仕事探し、たまっているメールのレス、読書なんかをしたいと思う。

Thursday, May 26, 2011

5月25日 (水) 営利法人と非営利法人、等。

8.30 am Solutions Marketing
12.30 pm Social Innovation
7.30 pm Tibetan Restaurant

ソーシャルイノベーションの授業は、15名程度しか参加者がいないので、ディスカッションが活発で楽しい。教官のローレンスも、とても経験豊富でエネルギー溢れる女性で、いろんな質問を投げながら議論を活性化してくれる。

しかし今日の授業の前半では、経済発展と政府の役割についてムッツが少ししゃべりすぎた感があり、数人が醒め気味。よろしくない傾向だったので、「ムッツは昨日体調崩して休んだ分、今日は2日分しゃべろうとしているんです」と茶々を入れてやったら、クラスは笑いに包まれて良かったのだが、ムッツは気にしてしまったのか少し黙ってしまった。

後半の議論は、バングラデシュで事業を行っているBRAC (http://www.brac.net/) というNGOの活動の是非について。非営利法人であるこの団体が行っている事業は、農作物や海産物の販売、高級手芸品の販売など、バングラデシュの貧困層に収入を得る手段を提供する活動から、銀行の経営、大学の運営など多岐に渡り、イメージとしてはインドのタタグループのような財閥に近い。しかし、様々なプロフィットセンターを抱えていても、基本は非営利法人で、運営資金の一部は寄付金に頼っている。

参加者の中には、これはもう営利法人だと唱える者もいたのだが、私にとって重要な点は、このNGOの活動が営利か非営利かではない。着目したのは、これらの商業活動が株主にリターンをもたらすためのものではなく、地域の発展に貢献するものであるという点。市場があることで第一次産業に従事する人は収入を得ることができ、また市場では雇用が生まれる。大学で教育を受けられることは次の世代の人材を育成するし、銀行があることで新しいビジネスを生みだすのに必要な資金が手に入れられるようになる。バングラデシュは世界の最貧国の1つなので、そこに人々が自分たちの生活を向上させる機会を生み出しているBRACの活動は、組織形態がどうあれ、とてもすばらしいと思う。

私は強欲な営利法人と慎ましい非営利法人という単純なデュアリズム (二律背反って訳す?) 的な区別は間違いだと考えている。例えば英国にはCIC (Community Interest Company) という組織形態があり、コミュニティーへの貢献をミッションとする企業だ。社会的企業 (Social Enterprise, SE) と呼ばれる組織がこの形態をよく選んでいる。事業を通じて利益は出すけれど、これを配当として株主に還元するのではなくコミュニティーに貢献する事業に再投資することを条件として、税金の面で株式会社より少し優遇されるらしい。

また、CICに加えて、チャリティー団体というのも商業活動を行う。例えば、ロンドンブリッジ近くのBorough Market (バラマーケット http://boroughmarket.org.uk/) も、お店がオープンする週末には大勢の人で賑わい、そこから得られるお金で新しい設備投資を行い市場の拡大を行っている。こんな風に、地域貢献を目的としながら利益を生み出す商業活動というのは存在するのであり、営利法人は株主の方ばかりを向いて消費者を搾取するというのは、単純化しすぎた分類だと思う。

とはいえ、BRACが直面する問題は、事業があまりに多角化することで組織としてのアイデンティティがよくわからなくなることや、意思決定が遅くなることなどだと思ったので、一部単独で成り立つ事業から売却して、新しく産業振興につながるような事業を立ち上げていけばいいのではないかと提案。教官のローレンスもクラスの面々の一部もこのアイデアをとても気に入ってくれたようで気分が良い。しかし、ドイツ人のダニエルから、これを買収した後のマネジメントがとんでもない経営をしたらどうするのだと突込みが入ったのは、確かに当を得ているところもある。

夜、以前ベンチャーキャピタリストYokichiさんの呼びかけによる新年会で知り合ったマサチューセッツ大の研究助手YとエネルギーコンサルタントI氏、Yを介して知り合った脳と記憶の研究者T氏、Suffork MBAのAという日本人ばかりの面々でチベット料理を食べた。どんなものが出てくるのかと思っていたら、脂分と塩分控えめの中華料理という印象。とても健康的だし美味しかった。

Tuesday, May 24, 2011

5月24日 (火) マーケ、ソーシャル、バースデー

8.30 ソリューションマーケティング
11.30 HSAミーティング
12.30 ソーシャルイノベーション
3.30 facebookメッセージにおどろく

ソリューションマーケティングには、教官のハーレイが代表を勤めるSolutions Insight社のパートナーがゲスト講師としてやってきた。テーマはソーシャルメディア。面白いテーマだったのだが、授業のスピードが少しゆっくりで、流れに乗り切れない感じで残念。HSAミーティングは唐突にキャンセル。ムッツが風邪、ウェンディーがリハビリ、オスが空港で母親のお迎えだそうだ。ふぅん、と。

ソーシャルイノベーションでは、フィリップスの事例とP&Gの事例。ソーシャルイノベーションっていうのは何なのだと議論。BOPと呼ばれる収入の少ない顧客層をターゲットにする場合、ビジネスの仕組みとして彼らに雇用を生み出し、収入を増やしていくような仕組みがないとビジネスは持続しない。そして、細かいところに手が届く、ローカル政府やNGOとの連携が不可欠だと。昨日ケース分析を書き上げるためにケースをいつもよりしっかり読んだので、たくさん発言することができて気分が良い。

余談だけど、ビジネスというのは、利益を生み出すことも大切だが、物流や資源、そして雇用や組織を通じて、大げさじゃなく世界のあり方に影響を与えていることにも、もっと注目するとよいと思う。働き方、家族と過ごせる時間、石油の輸送とCO2の排出など、ビジネスの影響は大きいからだ。どこか途上国で取れたオレンジが何千マイルも旅しているのは、やっぱりサステナビリティーの面から見ればおかしい。Ashokaのビル氏も言っていたように、大きな枠組みでパターンを見ることができる視点が重要だと思う。

授業終了後にFacebookにログインすると、Wall上にハッピーバースデーメッセージが110件ほど着ていて笑った。なんであれ、祝われるのはよいものだ。

5月23日 (月) マーケティング、ゲスト、課題課題。

朝からソリューションマーケティングの授業。製品中心からソリューション中心の企業への転換をどのように図るかという内容。Best Buyというこっちのヨドバシカメラみたいな電化製品の販売店が、Geek Squadというアフターサービスを行う企業を買収して、販売からアフターケアまでを行える「ソリューション提供企業」を目指すのだけど、私にしてみれば、まず販売の時点でサービスが全然存在していないので、そもそも先に変えるべきところがあるだろうと思ってしまう。

日本の販売店なら、製品を見ていれば勝手に店員がやってきて、こちらの予算や需要などに合わせて、(なるべく高いものを) 選んでくれるが、こっちでネットブックを買ったときには、自分でスペックを調べて買う製品を決めた後、店員の手が空くまで30分近く待たされたからだ。修理は、お店を通じて製造メーカーに回すだけでよいから、接客をもう少し何とかすればいいのに。

そんなはなしをしながら、お昼ごはんをフィンランドのパシと食べたあと、マーケティングの課題を終わらせ、3時半からは夕方にやってくるゲストを迎える準備。マーケティングの最終プロジェクトのため、EMCというデータストーレージを初めとした、インフォメーション・インフラストラクチャーを提供する企業のマーケティング担当者が来訪。いまいち内容のつかめずにいたクラウドコンピューティングについて面白い話が聞けた。この企業も、ソリューション・プロバイダーとしての転換を図っていて、そこから付随するビジネス上の変化について分かりやすく説明してくれた。

終了はおよそ7時半くらい。ここからソーシャルイノベーションのケース分析の課題を終わらせ、締め切りが近づいていたルーム・トゥ・リードの翻訳をやって、翻訳その2に取り掛かったところで疲れてきたので家に帰ることにする。片づけをしているところで、日付が変わって誕生日になった。帰宅して、そばを食べる。美味。

Sunday, May 22, 2011

【雑文】英語の話

唐突だけど「英語が話せない」には2種類あると思っている。

1. 言いたいことが英語にならない
2. 何を言っていいのか分からない

私個人で言えば、HULTで勉強していて、2「何を言っていいのやら…」という状況は今でも良くあるのだが、1「英語で何て言おう…」は、あまり無いように感じている。ことばが出てこないときは、日本語でも何も出てこない。しかし、初めての一人旅の頃だとか、学生のときに英会話を習い始めたときには、これが逆だった。アタマの中にある日本語のフレーズをどうにも英語で表現できずに困った。

2. に関しては正直今でも、質問で返すとか、お茶を濁すとかいう方法しか取れずにいるのだが、1. に関しては、実はとても大切な学習機会だと思う。このような場面に直面するたびに、自分のスピーキング能力を向上させていくことができれば、自分のニーズにぴったりなフレーズばかりを学習できることになる。

そこで私が繰り返した英語を話すトレーニング方法は、次のようなものだ。

まず重要なことは、自分の伝えたい本当のメッセージが何なのかを突き詰めて考えること。これは、日本語で考える。要するに自分は、「何」が「どうだ」と言いたいのか、1つの文で伝えるならばどうなるのか。いちばん重要なメッセージを適切に伝えるシンプルな1文が出来上がれば、これを英語に直すのは難しくない。

注: これをやるときには上記のような「突き詰めて考える」とか形式ばった日本語を使わないことが大切。私なら「simplify (単純化する)」、「clarify (明確化する)」、あるいは単純に「find (見つける)」などの簡単なことばを選ぶ。

しかし、この問題点は当然ながら時間が掛かること。大体の場合、初めはタイミングを逃したりして、これを言えず仕舞いになってしまう。私は負けず嫌いなので、「こう言ってやればよかった」という後悔はいつまでも心に引っかかる。

そこで私は、この自分の言いたいフレーズを、次の機会で確実に使えるように練習する。悔しい気持ちが消えないうちに、ひとりでブツブツと繰り返す。傍から見れば怪しい人だが、これをやらないとまた同じ悔しい思いをするのだから、反復練習あるのみだ。

大切なことは、この自分の考えをシンプルなことばで伝える英文のパターンを、自分の中で蓄積していくことだ。すぐに口をつくくらい「自分のものにしたフレーズ」が増えていけば、自分の意見をいうための苦労はどんどん減っていく。この自分フレーズが完璧な英語である必要はないと思う。まずは伝わることが重要。うまく伝わらなければ、周囲の人にでも聞いて、間違いを修正してもらったり、もっと効果的に伝えるフレーズを身に付けていったりすると良いと思う。

私が、自分の微妙な英語でこのエントリーの内容を説明するならば、
In order to improve your spoken English, you should simplify your messages in Japanese, repeat them till you feel comfortable, and build the list of your own 'simple phrases' in your mind.
と、おおよそネイティブライクではないものの、冗長なエントリーをいちいち英訳するよりも伝わりやすい英文になる。なお、この文の間違いの修正や改善案は超歓迎。

Saturday, May 21, 2011

5月20日 (金) オフィス、リムジン、ボーゲル塾

朝からオフィスへ。MBAの学習の一環としてインターンを許可するCPTというものがもらえたので一安心といったところ。8月まで授業のない日はこのオフィスで手伝いをしながら、自分のプロジェクトを進めることになる。プロジェクトの内容についてメンターと話し、チームのアメリカ人ビルがやっているマーケット調査の一部を担当することになりそうだ。



オフィスから最寄り駅まではタクシーを使う。
今日は近くにいたという理由で黒塗りリムジンが現れて噴いた。


いつもより少し早く、4時過ぎにオフィスを出て向かったのは、セントラルスクエアの近くで行われたボーゲル塾という有志の勉強会メンバーによるパーティーに参加するため。私はつい最近になってこの私塾の存在を知ったのだが、ハーバードやMITの学生やボストン近郊の研究者や社会人が集い、ビジネス、経済、医療や教育など様々な側面から日本の将来について語り合っているとか。

このボーゲル塾については、いくつかの有名なブログでも取り上げられているので、それらを参照のこと。中でも、これが秀逸。 MIT Sloan 遊学記 「ボーゲル塾の門を敲く」 (http://sloanmit.exblog.jp/7318833/)

今回のパーティーは一年間のお疲れ様会らしく、全く部外者の私が参加するのはとてもためらわれたが、ボストンと言う地の利を活かした、志の高い人たちに会える貴重な機会をロスするのももったいないので、とりあえず飛び込んでみた。

参加者には財務省、国土交通省、総務省といった留学中の官僚の人たちや、MGHの医師、ハーバードやMITの学生、理系研究者など、幅広いバックグラウンドを持った人たちがいた。主催者のボーゲル先生が途中で現れ、短いまとめのコメントをされたのだが、日本の状況は厳しい。中でも欠けているものはリーダーシップである。そしてこれまでのリーダーには問題を起こさないタイプが選ばれていたが、今後はそうではないタイプの方が良いのではないか、と言われたのが印象に残った。

とにかく私も授業が忙しくなれば、アタマがいっぱいになるし、自分の専門外の事柄については日ごろ注意を払わなくなる。ストラテジーの教官デネフも言うように、専門家と言うのは、勉強すればするほど、専門知識が深くなり、一方で専門領域が狭くなる。この分断というのが問題であるということを私もよく感じることがあるが、このボーゲル塾というのは、より大局的な視点から、リーダーシップや当事者として何ができるか、というところに焦点を当てているように感じた。

スピーチのあと、ボーゲル先生が近くを通ったので、もし卒業後に就職がうまく決まりボストンに残れることになれば、ぜひ塾に参加させて欲しいとお願いしたら、快くOKしてもらえた。なるほどボストンにいるメリットの1つは、こういった著名なリーダーたちが近くにいることなのだなと改めて感じる。

Tuesday, May 17, 2011

5月17日 (火) ソーシャルイノベーション、試験返却

朝から雨。今週のボストンの天気は酷い。どんより暗いことで知られるロンドンではすばらしい天気が広がっているようで、何かが間違っている。

ソーシャルイノベーションの授業に向けて、デザインシンキングについての文章を読む。アイデアの生み出し方についての話。そして多くのステークホルダーや物事のいろいろなフェーズを考慮に入れることが重要だと。システムシンキングとよく似ていると思う。これも、理論を読むより実践してみてこそ腹に落ちる感じ。

ソーシャルイノベーションの授業は、PlayPumpというNPOを扱った事例で、子どもが回転式遊具で遊べば地下水がくみ上げられるというすてきな仕組みで、アフリカ各地に水道を設置した慈善事業の話。しかし、このアイデアはすばらしい一方で、一定期間が経てば遊具が壊れて水が出なくなったり、修理には数ヶ月を要したりと、持続する援助というのは難しいということを改めて認識すると同時に、持続する変化というのはやはり当事者である現地の人が自分たちの力で手に入れるものでないといけないのだと感じた。

ハーバードのチェンジ・エージェントの授業でたびたび取り上げられたが、チェンジマネジメントには、オペレーションやプランのマネジメントに加えて、意味付けのマネジメントという側面がある。変化に関わる人をエンゲイジさせるのは、彼らがそこに困難を乗り越える努力をささげるに値するだけの意味を見つけることだ。人から与えられたものというのは、物事がうまく行っているときには歓迎されるが、困難に直面したとき、もらった人は責任を取りたくないと感じてしまうからだ。現状から何かを変えようとすれば、困難は必ず現れる。これを乗り越えたいという気持ちを、どれだけの人が持っているかというのは、変化が実現するかどうかに大きな影響を与える。

さて、今週になってモジュールBの試験が返却されている。ダルコのファイナンスIIのファイナルは、16.5点/18 (15点満点と3点のボーナス問題)。このスコアは悪くないが、どうやら周りを見ると高得点が続出していて、この試験ではあまり差が付かなかった様子。成績の良し悪しは、クラスでの発言量やチーム課題が要因となっているのではないかと推測される。A(またはA-) が取れなかったのはとても残念だが、授業の内容はアタマに入っているということだと納得しておこうと思う。

デネフのストラテジーの課題2は15点/20 (平均点の少し上)、ファイナルは45点/50 (上位8%以内)。課題1で私のチームはコース最低点を記録してしまっていたので、最終成績がB+で落ち着いたのはファイナルで巻き返せたのが原因の様子。とにかく要点を絞って無駄なことを書かず、そして授業で習った理論に基づいて明確に解説を加えると、どの選択肢を選ぶかに関わらず高得点がもらえている。

Monday, May 16, 2011

5月16日 (月) マーケ、ミーティング、英作文

12時からマーケティングのチームミーティング。ソリューション提供のプロセスを、顧客のアクションやフィジカル・エビデンスの面から分析するブループリントというツールを使う。ホワイトボードになんだかんだとアイデアを落としていくプロセスは楽しい。

このチームは、フィンランドのパシ、ベネズエラのオスワルド (オス) とキャロライン、ルーマニアのダニエラとインドのパヤルという面々。チームのミーティングはうまく行ったが、オスのファシリテーションがあまり良くない。パシとパヤルのコメントが的確なように思う。パシはミーティング中に効率的にパワーポイントを作成してくれた。ミーティングを一度締めたあと30分ばかりレビューして、若干の修正を加えて完成 (コメントはまだ受け付けるけれど)。

4時から7時までマーケティングの授業。スターに選ばれるが、すっかり忘れていた質問で指名されて赤っ恥をかいた。挽回を図って手を挙げるのだが、かなり積極的に発言する面々と並んでしまったためにチャンスは得られず。同列にいたのはHSAの同僚のマレーシア人ウェンディーとオランダ (+ ラテン) 系米人のムッツのせいだ。明日ミーティングがあるので文句を言ってやろうと思う。彼らにすれば謂れのないクレームだろうけど。

その後、マーケティングの課題に急遽追加されたA4サイズに一枚の箇条書き程度の文章と、プロジェクトのメンターとなるデータ・ストーレージの大手E社の担当者へ送付するアポ依頼メールの原稿を作成。チームに投げてフィードバックをもらいつつ、英語の上手な友人に校正をお願い。Skypeで細かくチェックをもらうと、なるほど自然な英文になる。英作文に関しては、たくさん練習しているつもりだが、やっぱりネイティブの壁は厚い。

私がこの文章作成を先頭を切ってやったのは、実はチームの中にイニシアチブをとりたがるのだけど英作文が致命的に下手なメンバーがいたからだ。いつも独断でチームを代表してメールを投げるのだが、その文法やトーンやタイプミスがとても酷く、私は何度か苦言を呈している。正直、彼に外部 、しかも大手企業 向けのメールを送らせるのは絶対NGだったので、この暴走を阻止する目的は達成された。

11時の閉店間際のアメリカナイズされた中華料理店P.F Changに飛び込み、チキンの炒め物とキリンビールで夕飯。帰宅後、諸々の整理。就寝。

Friday, May 13, 2011

5月12日 (木) ASHOKA.org、社会起業について

朝からメンターのところに顔を出し、少し調べ物をしてレポートをまとめて、ボストンへ帰ってきた。いつもより一本早い電車に乗ったのは、モジュールCで履修しているソーシャルイノベーションの教官、ローレンスがSimmons Collegeと言うところで行われるイベントに招待してくれたからだ。とてもすてきな話を聞かせてもらったので、メモを残しておこうと思う。

このイベントは、スタンフォード発祥でサステナビリティーに関する活動を行っている学生中心の弾代、Net Impact (http://www.netimpact.org/) のイベントで、メインスピーカーは、ビル・ドレイトンという人。Ashoka という社会起業家支援を行う団体の設立者で、参加者はサステナビリティーに関わる人だとか社会企業家が多かった。


パネリストは、ビル氏とAhokaのフェローの社会起業家2人、NIのボストンの人が1名だったんだけど9割がたの時間はビルさんが話していた。とても穏やかかつクリアな口調で話すビル氏が、もしも自分の成功談をうれしそうに語っていたなら、きっともっとつまらないトークになったのだろうけれど、全然そうはならなかった。期待を裏切られたし、行ってよかったと思った。

ビル氏のいちばんのメッセージは、みんながチェンジメーカーであるべきだという点だと今の時点では思っている。このビジョンと違って、今の社会は繰り返されるパターンで構成されていて、個人はこのパターンをスムースに回すことに終始していると言う。

今、多くの人が何かがおかしいと思っている中で、ビジョンを実現していくために必要となるのは、現行のパターンに組み込まれてしまう人じゃなく、このシステムを見ることができて、そして変えていける人が必要。変えていける人は、家庭環境や教育を通じてリーダーシップ、チームワーク、チェンジマネジメント、そして共感することを学んでいる人。ほんとはこういう人は21歳以下でチェンジメーカーとしての経験をしてきていないとダメなんだとか。古いパターンの中でステータス・クオの番人をやってきた人が、突然変化を起こす人になるのは大変だから。

しかし、そういうビル氏がAshokaを始めたのは21歳よりずっと後。理由のひとつとして、本人の家庭環境として、両親や生まれ育ったNYCという街とかが大切だったと語る。世界の捉え方やモノの見方、要するに早期に形成される根本的な価値観というのが鍵だって言ってるのだと思う。

確かに、良いレールに乗ることの大切さや、そこから外れることの怖さを教えられて育ったチェンジメーカーというのは、なかなか想像しがたい。エリート層出身のチェンジメーカーというのはいるけれど、この人たちのマインドは、エリートしてる間もずっとチェンジメーカー側のものなんだと思う。

必要なものは新しいパラダイムで、それをみんなが見ることができることが大切なんだって言ってた。もっとこうあるべきだという考えを共有できることなのかしら。今のパターンというのが持続しないことは私たちもずっと分かってる、ただもっと共有されないといけない、だったかな。時々文脈を捉え損ねてしまったりで、どこまでこの大きなビジョンについての話を理解できているのかに自信がない。

チェンジメーカーとそのコンビネーションがキーで、このムーブメントががある時点でティッピング・ポイントに達しなきゃいけないんだと。Ashokaは、そのためのネットワークのハブだって。あと、ハブはいっぱいある。世界はTeam of teamsだと言う。

しかし、このTeam of Teamsのイメージがいまいちつかめない。チームっていうのはファンクションの結合体じゃなくて助け合えなきゃならず、だから共感できることが大事だって言ってたのは覚えている。チームのチームっていうのは、チーム内とチーム間での相互ヘルプがあるということなのかしら。

ビル氏のトークのもう1点のテイクアウェイとしては、例えばMBAの学生は、卒業後生きていく国(や業界や職種やなんやかや)を決めることはよく考えているが、生きていく「コミュニティー」を考えることっていうのも大事だと。どんな指向性を持った人と一緒にいたいかということ、か。

自分がほんとに思うことをやるのに必要なのは、ただ自分自身に許可をあたえること。P.センゲのワークショップで「私は~であることを選択します」と声にしてみるエクササイズがあったけれど、なるほど私なんかはどうにも意志が弱いのか、日和がちなのか、自分自身に継続して言い聞かせないと気持ちはすぐしぼんでしまう。

Wednesday, May 11, 2011

5月9日 (月) モジュールC開始。

11時30分よりYearbookの話し合い。雑誌の編集をしていたらしいウクライナ人のアナがいろいろと説明を加えるのだが、どうにも無駄に詳細な解説が多くて性に合わない。とりあえず使えるお金は決まっているのだから、その範囲で割り当てを考えればいいと思うのだが、人によって話の進め方が違うのは仕方ないがストレスがたまる。

その後、モジュールAでマーケティングを担当していたハーレイによるソリューション・マーケティングという授業。B to Bのマーケットでは、プロダクトとサービスを併せて、それぞれの顧客にカスタマイズされたソリューションを提供することが大事だという話だったと思う。自社が何かを売るという認識ではなくて、顧客の問題が解決された状態だとか、顧客に測定可能な価値が生まれた状態だとかを実現するのが、ソリューションの提供という概念の様子。

ソリューションを提供するためには、部門を横断した連携が不可欠で、そしてテクノロジーの果たす役割が多いとのことで、テクノロジーについて多少詳しいとこの授業では優位の様子。私は、ややこしいのは苦手なのだが。

その後、うれしいニュース。インターンの件でスチューデントサービスに話をしたところ、企業からのレターの問題が解決しそうな雰囲気だ。あとは、担当教官の許可待ちだが、ここでは問題が起こらないことを祈る。Deanには話が通っているので、担当をお願いしたハーレイの反応だけがキーになってくる。

あと、関係ないが、産業調査と呼べば、前職の仕事の内容を比較的正確に表現できることが分かった。英国での再生可能エネルギー産業の仕組み、炭素税の仕組み、政府によるコンサルティングファームの利用の仕方などを調べてレポートを作成していたので、産業調査とか、英語でIndustry Researchとか呼んでしまえばそれっぽくなる。

Saturday, May 7, 2011

5月6日 (金) ペーパーワークとコンサート

インターンの件、結論を言えば、前日から困っていたペーパーワークが結局うまく行かず、CPTというインターンを許可する書類が取れなかった。この承認を得ないままに企業で仕事をすると、法律に触れてしまうらしいので非常に面倒なことになった。

モジュールBの間は、メンターシップの一環として事務所へ出入りさせてもらっていた形だが、今後はいったん書類を整えてから出直すことになる。メンターのナンにも面倒をかけてしまい申し訳ない気分だ。とにかく月曜日にHULTのスチューデントサービスおよびキャリアサービスと話して、解決策があるのかどうかを検討したい。

そんな困っているときに、モジュールBの成績がメールで送付されてきた。全般的に振るわずモジュールのGPAは3.38 (B+ のわずかに上)、モジュールAと合わせて3.48となっている。オペレーションでA、チームビルディングでA-が取れていたが、あとはファイナンスII、CSR、ストラテジーがB+で終わっていたし、苦手なIT、マネジメントコミュニケーション、コンサルティングスキルがBで成績を下げていた。成績にこだわってもメリットはないらしいが、もうちょっとできるかなぁという印象。

帰り道に、最近知り合ったMITやハーバードの研究者の人たちと、Berklee音楽院の卒業コンサートに顔を出す。さすが世界でいちばん有名な音楽院の卒業式で、すばらしいパフォーマンスがたくさんだった。グラミー賞を受賞するような著名なミュージシャンもゲストに招かれて、数名は演奏にも参加していた。

年季の入ったプロの演奏というのは、特別なことをしていなくても存在感が違っているように思えて、何かを生業としてプロフェッショナルの領域に高めていくというのは、たとえ打ち込むものが違っても美しいものだと思った。卓越した業を自分の生き方の一部になるくらいに磨くことは、時間の掛かるプロセスで、効率の良い作業じゃないかもしれないが、とても素敵だと思う。

夕飯は、お気に入りのバーに寄った。ごたごたとしていることが多く、気分の優れないことが多かったりもするのだが、いったん肩の力を抜いて、来週からの授業とインターンに伴うペーパーワークに備えないと。

Thursday, May 5, 2011

5月5日 (木) 日本はこどもの日

今日もオフィスへ。受付のおばさんに、今日は日本じゃ子どもの日なんだと言うと、メキシコじゃ「シンコ・デ・マヨ」という記念日なんだと教えてくれた。別にこの人はメキシコ人ではないのだけど、どうやら米国では有名な記念日。グーグル先生に聞いてみると、どうやら対フランスの戦争に勝利した記念日で、別に祝日ではないらしい。国が違えば、祝日もいろいろ。

今日はなんだかんだのペーパーワークとお金をめぐって、不思議な感じにゴタゴタした日だった。

朝からメンターのナンが、別部門から頼まれているデータ入力の仕事があるがどう思うか、と聞く。私はなんでもやるよと答えるのだが、ナンが少し渋っていたのは、内容が極端な単純作業で私にやらせるべき仕事ではないと感じていたかららしい。そして、私にこのレベルの仕事をやらせるならば、経験にならないのだからせめて給与が発生するべきだと主張する。

私としては、今まで見たことのないシステムに触れることに興味がないでもなかったのだが、ナンは給料が発生するように掛け合わせてくれ、と言ってしばらく別部門の担当者と話した後、メンターとしてアキにこの仕事はさせられないわ、と結論を出した。結局午前中は、昨日までにやったリサーチの内容に、別の人がまとめた資料の内容を加え、パワーポイントにまとめる作業を行うことになった。

MBAのインターンの場合、本当は有給が基本のようだ。しかし、無給でのインターンが行われるのは、不況も理由の1つだが、業界や職種、そして何より働く国を変える場合に、多少の経験を積むため。私の場合はまさにそうで、これまで飲食系のベンチャーでの経営企画や財務経理、フリーランスでの翻訳、校正やコピーの作成、英国でのなんとも分野の定まらないリサーチ業など、特定の業界や分野に強みを持たずにやってきたため、今度のインターンは、グローバルな医療機器メーカーでの市場調査や競合分析など、汎用性の高いというか、別の企業に転職する際に評価を得られやすいであろうスキルを身に付けられることを期待している。

しかし、午後にまた書類とお金をめぐって問題が発生。HULTから正式にインターンの許可をもらうためには、申請用紙の他に受け入れ企業側からのレターが必要なのだが、この企業の法務部から、無給でのインターンシップにNGを出たらしい。最低限の賃金が支払われない労働は、米国の法律に触れることもあるらしい (そういえば英国でも同じようなことがあった)。しかも、今回の問題は、現在この会社では予算が凍結されているため、企業としてはお金を出せない様子。

で、さらにまずいことに、このインターンに関する書類をHULTに提出する期限が明日だというので、明日の朝ナンとまた相談することになった。どうなることかしら。

5月4日 (水) Mass ID、友人ボストンへ戻る。

マサチューセッツ州のIDを取りに行った。まず、ノースステーション近くのソーシャルセキュリティーオフィスなるところで、働いていないのでソーシャルセキュリティー番号 (SSN) は発行できない旨をレターに書いてもらって、その後、チャイナタウンの駅近くにある交通局的なところでIDを発行してもらう。

このときにパスポートのほかに、I-20、住所、生年月日、サインを証明できるものが必要。しかも、これらはそれぞれ別のドキュメントでないといけないらしい。パスポートを生年月日の証明に使い、大家とのリース契約書をサインの証明に使うとして、住所を証明できるものがうちになくて困った。例えば電気や水道の請求書が使えるらしいのだけど、うちの場合、それらは大家の名前宛に来るし。困って交通局スタッフに聞いてみると、銀行の残高証明書が使えるとのこと。今度、これを手に入れてまた行かなくては。

夕方、モジュールBの途中で故郷のアイスランドへ帰ってしまったヒルダから連絡があり、また無事にボストンへ帰ってきたことを知る。さっそく近くの店で落ち合って、状況をいろいろ聞いてみた。来年、モジュールBをやり直すことになるが、モジュールCとDは私たちと一緒に勉強できるらしい。同志が帰ってきたのはうれしい。モジュールCはクラスも一緒とのことだ。

明日はまたメンターのところで仕事があるので、今日は早く寝ないと。

Tuesday, May 3, 2011

5月2日 (月) 喉が痛い。月曜日オフィス。

朝からメンターのオフィス。日本についての情報を新聞なんかを中心に集めてレポートにまとめる。提出先のヘンリが今日はお休み。なんでも中間試験だとか。彼女は、2児の母、兼、パートタイム学生、兼、チームのシニアマネージャー。非常にアタマの回転が速く、仕事もできる。すごい人がいるものだなあといつも思う。

ランチは、天気がよいのでお外で食べた。日差しが強くて暑いくらいだった。隣のマーケティング部門の人たちと同じテーブルになって、3名ばかりの人を紹介してもらえた。

午後、不意にメンターのナンから声を掛けられ、人事でMBA採用を行っているジルという女性を紹介される。そして、2時間後にまさかの面接。履歴書を見ながら、HULTのことや経歴を聞かれて、今空いているポジションの説明を受けた。興味があるというと、その部門の担当者に履歴書を回して面接をする気があるかどうか聞いてみるわ、とのこと。うまく進みますように。

その後、いつもの電車に乗ってボストンのノースステーションが7時半。HULTに立ち寄って返却されたマネジメントコミュニケーションの課題を受け取るが、成績はBと振るわず。構成があまり置きに召さなかった様子だ。きちんと見直して、文章のダメなとこは直していこうと思う。

Sunday, May 1, 2011

【HULT留学情報】 エグゼクティブトラック・プログラム


HULTのMBAを含む各修士課程には、エグゼクティブトラック・プログラムというものがあり、ウェブサイトにも紹介されている (http://www.hult.edu/mba-program/our-program/executive-track)。これは私がHULTに入学する前の年から始まった試みらしいが、出願者の中からキャリアや学歴、GMATの点数などに優れた人を選んで、さらに選考で選ばれた10-15名の学生にリーダーシップ・トレーニング的なものを提供するプログラム。

私見では、このプログラムには出願者の中から、卒業後にHULTのブランディングに貢献できそうなEmployabilityに優れた学生を囲い込む狙いもあると思う。プログラムの内容は、まだまだ整備中で変化しているが、結局どの程度参加者のキャリアのプラスになるかは、本人の取り組み方と、メンターとの相性によると思う。私は去年運よくこのプログラムの2期目に参加できることになったので、このプログラムについて少し紹介する。

1. プログラムの内容
  • 地元企業のマネージャーや起業家よるメンターシップ。
  • いくつかの特別セッション (自己分析、プレゼンテーション、セルフブランディング等)。
  • 人数が限定されたイベントへの参加権 (過去の卒業生が集まるパーティーなど)。
  • ソーシャライゼーション (メンバーでのパブめぐりなど)
セッションはおもしろい。参加者が14名しかいないので内容も濃い。また、キャリアオフィスやスクールのマネジメントとのコンタクトが増えるので、キャリアオフィスとの関係がちょっと良くなったり、困ったときにディーンだとかマネジメントダイレクターに気軽に相談にいけたりする (私はこれはHULTで過ごしやすくなる点で大きなメリットだと思う)。

イベントでいえば、最近キャリアオフィスが力を入れている (ように思う) のが、ボストン近郊にいるHULT卒業生とのネットワークで、過去に2000年の卒業生の同窓会や、ローカルで勤める卒業生を集めたイベントがあった。これは、卒業生30-40名程度が集まっていたが、ここに学生180人を来させると大混乱を引き起こすので、HULT側がETメンバーとボランティアとしてオーガナイズを手伝った学生だけを招待したもの。地元で勤める卒業生とのネットワークは貴重だし、とても重要なので、今後もどんどん強くしていってほしい。

いちばん大きな売りであるメンターシップ・プログラムは、まだ仕組みを整えている最中というのが率直な印象だが、私はとても幸運なことにそのメリットを大いに享受していると思う。私のメンターは、このブログにも登場するが、ボストン郊外の欧州系大手医療機器メーカーのシニアダイレクター。私は時折事務所を訪問して、いくつかのマーケットリサーチのプロジェクトに関わらせてもらっている。実際のビジネスへ自分の作成した資料を提出し、先日のようにプレゼンテーションを行い、フィードバックがもらえるので、異国の地で経験を積むという意味ではとても貴重な機会だ。

また、メンターは私の履歴書を他の部門やHRの担当者、その他知人にも転送してくれて、私の就職活動を応援してくれている。米国での就職には日本の場合に比べて、ネットワーキング (要するにコネ) がより重要で、企業側も誰かが推薦してくれる信用の置ける人を採りたいし、誰かを紹介するマネージャーも、優秀な人材を紹介することができるというのは自分の評価においてプラスに働くらしい。

誤解がないにしないといけないのは、コネがあれば使えない人物も良いキャリアを得られるのではないということ。良くない人材を紹介することは、紹介する側にとってもデメリットになるので、結局は、誰かに推薦してあげたいと思ってもらえるように、自分の強みだとかパーソナリティーだとかをアピールできるようにしないといけない。

実際のところ、メンターシップがうまく行っているのは、私を含めて2-3名 (14人中) といったところで、中にはもう全く連絡を取っていないとか、何度かランチを食べただけ、電話で話しただけ、というメンバーがほとんどである。メンターたちは基本ビジネスに忙しく、出張で飛び回っていたりもする。スケジューリングと、メンターシップに期待する内容について、初めのうちにきちんと合意を形成しておくのがベターだとつくづく思う。

2. エグゼクティブトラック選考参加のための要件。

  • GMATの600点台後半 (最低ラインが670くらい)
  • TOEFLの100点 (英語が母国語でない場合)
  • 最低3年のフルタイム実務経験

以下、あれば良し。

  • 国際性のあるバックグラウンド
  • 学業での成績
  • MBA+α の課題をこなせる能力とやる気

3. 選考方法

  • ドバイで行われるアセスメントセンター。

上記1と2を満たした学生に、HULT側からコンタクトがあり、アセスメントセンターに呼ばれる。これはHULTのドバイキャンパスで行われ、なんと航空券と現地滞在費はHULTが出してくれる (滞在はドバイHULTの学生寮)。

アセスメントセンターの内容は、グループワークとプレゼンテーションで、2時間おきくらいに違うメンバーと組み合わされたチームで、課題に対する解決策を考える。コミュニケーション力やリーダーシップ、協調性、創造性なんかを発揮することが評価のポイント。グループワーク間、アセスメントセンターのスタッフが様子をずっと観察していて、各人に成績をつけている。

また、休憩時間の周囲との関わり方なんかも観察されていて、例えば、人と会話ができないとか、同じ人種とばかり話しているとかは、よろしくない印象を与える様子。最終プログラムの終了後のレセプションでも、ざっくばらんな打ち上げではあるものの、ハメをはずすとしっかり見られているので注意。

4. 留意点というかなんというか

ところで、エグゼクティブトラックに関しては、良くない印象を持っている学生もいる。というのは、去年まではこの存在もウェブサイトなどでは公にされていなかったので、突然その存在が知られたとき、「なにか特別扱いをされているやつらがいるらしい」という風に捉えられたため。また、優秀な学生の中にも、出願時期が遅かったためETの選考が終了しており参加できなかったものがいるため、一部は選考過程がフェアじゃないと不満を漏らしていたりする。

HULTはビジネススクールとしてまだまだ成長中で、常に何か新しいことが始まっているので、こういったゴタゴタは避けられないのだろうなと思う。大事なのは自分の軸を持って、無駄な不満を言うことに時間を費やすのではなく、この若いビジネススクールのリソースを精一杯自分のものにしていくことだろう。とはいえ、私も自分からETについては進んで話さないようにしているのが実際のところだ (ブログに書くなんて持っての外だ。笑)。

5月1日 (日) ラーメン!

最近知人から、ボストンでちゃんとしたラーメンが食べられる場所を教えてもらったので、突然思い立って食べに行くことにした。

グリーンラインのBライン、Packards Corner駅のすぐ近くにあるピカイチという店は、以前Ken's Ramenというボストンでいちばん美味しいラーメン屋さんがあった場所だ。Tを降りると右手に見える香港市場というアジア系食品の揃うスーパーの中にあり、フードコートを通り抜けるか、駐車場側から歩いて行くこともできる。

ボストンはラーメン不毛地帯らしく (ロンドンもそうだったが)、NYCなら一風堂をはじめとする日本式ラーメンがけっこう簡単に食べられるのに比べて、ラーメン屋といえばNewburyのあたりにある麺亭くらいしか知らなかった。ちなみにこの麺亭に関しては、ノーコメント。

小さな店内は、テーブル席が15くらい、カウンターが少し。メニューはとてもうれしいことにカレー、ラーメン、どんぶり、という典型的なくらいに私が恋しく思うものばかり。ラーメンには、しょう油、みそ、塩があり、今回はみそラーメンを注文した。


(5月8日、写真追加)

トッピングはいろいろ選べるけれど、何も追加しなくてもコーンとチャーシュー、海苔が入っていた。みそラーメンのスープはこってり、麺もいける。日本であれば、取り立てて騒ぐほど美味しいわけではないが、お店のラーメンらしいラーメンが食べられたことは、ボストン生活においては奇跡的ですらある (大げさ)。ボリュームもたっぷりで、値段は税込$9.08。

次の週末にも来てしまいそうだ。

ピカイチ
Pikaichi Japanese Restaurant
Add: Hong Kong Supermarket, 1 Brighton Ave. Allston, MA 02134
Tel: 617-789-4818

Saturday, April 30, 2011

4月29日 (金) インターン、金曜のオフィス

インターン先オフィスにて調べ物や雑用。ものすごく天気が良い。テレビでいちばん大きな話題は英国王室のロイヤルウェディングだが、私としてはバッキンガムパレスをテレビで見ながらロンドンが懐かしくて恋しいな、くらいだ。英国ロイヤルファミリーには正直なところ一切関心がない。

事務所に着くとメンターのナンがいた。昨日NYCへ行くはずだったナンは、空港でフライトがキャンセルになり5時間待ちぼうけた上に向こうへたどり着けず、結局うちに帰って仕事をしていたらしい。NYCへ向かう予定だったのは、HULT主催のグローバルケースチャレンジを見学し、スピーカーだった元大統領のビル・クリントンに会うためだったらしいので、さぞかし残念だったことだろう。

金曜日のオフィスは人が少なくて、理由を聞くと在宅勤務にしている人が多いとのこと。日本じゃ考えにくいなあと思うが、擦り合わせだとかが少なくて済む仕事ならオフィスにいる意味っていうのは実は小さかったりするのかもしれない。なんにせよ、働き方も国によっていろいろ違う。

午後になってナンとモジュールCとDの間のインターンについて少し話す。週に2-3回程度オフィスに来たり家から作業をしたりしながら、プロジェクトをやって1科目分の単位として認めてもらえる。無給だが、勉強になるし実際のビジネスに関わることができるのはおもしろい。特に私は過去、小さな企業でばかり働いていたので、大手企業の様子が見られるのもレアな経験だし、履歴書に書ける内容としても使える。

外国人が米国で仕事を探す場合、こんな風にして英語がきちんと使えることを履歴書上でアピールしたり、仕事を探す国での組織できちんと仕事ができる人材だとアピールしていく必要があるのだとかキャリアオフィスで聞いた。道のりは、いつも険しいけれどがんばらないと。

Monday, April 25, 2011

4月24日 (日) 日曜、閉店、構造主義、パブ


疲れがたまって左目がぴくぴくする。 昨日の午前2時にレポートが終わって、忙しい時期もほぼ終了。 あとはシミュレーションの集中講座をこなすのみだ。

今日は金曜日のパーティーに付き合ってもらった友達に忘れ物を返してもらった後、 割れてしまったボウルを買って、腕時計のベルトを取り替えるつもりだったのだけど、 イースターの日曜日と言うことで、どっちも目当てのお店が閉まっていた。大失敗。

天気は抜群に良くて、昨日の雨と寒さとがうそみたいだ。 必要な買い出しを済ませて、内田樹氏の「寝ながら分かる構造主義」を読む。困ったことに起きていてもなかなかすっきりとは分からないが、 たまに思考の深堀りをすると脳が生き返る気がする。私は元々、学部での専攻が心理学と社会学。あまり勉強はしなかったが、普段考えていることをメタレベルで考え直すという作業は好きだ。

夜になって、しばらく前から気に入っているパブへ。過去に来たときにはブルースやフォークソングのライブが行われていたが、今日は4ピースのジャズだった。軽く飲んで来週への英気を養う。

Sunday, April 24, 2011

4月23日(土) エッセイ執筆、英作文の効用。

ハーバードエクステンションスクールで受講していたBecoming an Agent of Changeのファイナルペーパーの締め切りのため、昼からHULTへ行ってPCに向かって作文をする。先週までは、試験勉強をする学生で溢れていた週末の学校も、今週はとても静かだ。ファイナンスの資格、CFAの勉強をしていたスペンサーとレドワだけがいた。

このChange Agentの授業では、組織や業界、社会などいろいろなレベルでの変化について、枠組みや理論、ステークホルダーの分析など、とても有用な知識をたくさん教えてもらったのだが、平日の授業に忙殺されてあまり深く考える時間が取れなかった。ファイナルペーパーを機会にテキストを読み返して、学習した内容を振り返り、自分の体験に当てはめて考えていく。テキストはやっぱりじっくり読み込むとおもしろくて、気づくと結構時間が過ぎていた。

3,000ワードを一日で書くとなると、それなりに思考がまとまっていることが条件になるのだけれど、今回はまとまっていたはずの思考が良い感じに深堀りされたり、新しいアイデアが出てきたりで、まとめ直したりしているとどんどん時間が過ぎた。おかげで書き終えたのが午前2時になっていたけれど、私にとってとても良い振り返りの時間になったと思う。

英語のアカデミックなエッセイは、日本語の作文よりも論理的な構成がしっかりしていないといけないので、これを書くことは実際に思考の整理という側面を持つ。アタマはとてもつかれるけれど、物事を系統立ててアタマに入れるなら、それについての文章を書くのは有効だと思う。

確か、英国で勉強し始めた1年目のエッセイが毎回2,000から3,000ワード (内容は経営学に関するものと西洋哲学に関するものがあった) で、ものすごく四苦八苦しながらやり遂げた記憶があるので、なにはともあれ自分自身の文章作成能力やスピードは向上しているのがうれしい。結局、上達している実感はなかなか得られなくとも、継続こそチカラなり、だ。

4月22日 (金) シミュレーション、パーティー

8.30 からビジネスシミュレーション。午前中にマーケットとポジショニングに関する意思決定、午後は生産と販売に関する意思決定を行う。各チームの意思決定に基づいて、マーケットの状況は変化するらしく、月曜の朝に各チームの売上やマーケットシェアが発表される。

終了後、ハーバードスクエアでモジュールBほぼ終了のパーティー。本当は最終日である水曜に予定されていたが、その日ボストンを離れる学生が多数いるため、金曜日のうちに祝ってしまうことになった。

このパーティーでは、Mr & Miss Hultを初めとして、いろいろと存在感を発揮した学生を表彰するイベントが行われた。Class Clown (みんなのピエロ) だとか、Chatterbox (しゃべりすぎ) だとか、いろんな賞があり、中にはなかなかひどいものも。苦笑。

私はHSAのメンバーなので表彰する側に回って、舞台の上から様子を見ていたのだが、割と良い感じに盛り上がっていてよかった。自分がプレゼンターとなった部分では、性格的なものなのか、若干淡々とした感じで表彰を済ませてしまったが。

ビジネスシミュレーション終了後には、世界各地へ飛び散ってしまう学生も多いので寂しいが、新しくボストンへやってくる友人たちも大勢いる。まずは、あと3日のシミュレーションゲームを精一杯楽しもうと思う。

Friday, April 22, 2011

4月20日(水) 東南アジアCQ、ネットワーク、壮行会。

昨日で試験が終わったため、少し気が抜けた感じの水曜日。

昼から東南アジアのカルチャークエストがあり、ベトナム、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンについての素敵なプレゼンテーションのあと、昼食がふるまわれた。アジアのご飯は美味しい。海もきれいだし、物価も安い。私は2005年にベトナムと、昨年マレーシアに行ったが、どちらもとても楽しかった。最近すっかり旅行に出たくてたまらない。

オペレーションの試験が返ってきて、点数は87点。4つの大問のうち3つをほぼ満点でクリアしたのだが、第3問で大量失点している。どうやら問題の解釈にズレがあり、ポイントをはずしてしまった様子。成績そのものは悪くないのだが、なんだか残念。

夕方から、キャンパスローテーションでドバイへ行ってしまうNの壮行会兼モジュールBお疲れ様会。セントラルスクエア近くの韓国料理に行ったが、HULTでボストン近郊在住の卒業生を集めたネットワーキングイベントと重なり、1時間ほどでそそくさと抜け出す羽目になった。

HULTで行われたMBA同窓生とのネットワークイベントはとても良い感じで、HULTや前身のArthur D. Little School of Managementの卒業生でボストン近郊で働いている人が大勢来ていた。今のHULTの様子を説明したり、諸先輩方の仕事の様子を尋ねたり、就職活動におけるアドバイスをもらったり。1時間だけの予定が2時間半も滞在してしまったが、とても貴重な機会となった。

その後、Nの壮行会に舞い戻り、軽く飲みながらモジュールBを振り返ったり。遅くなりすぎずに帰宅。就寝。

Wednesday, April 20, 2011

4月19日(火) ファイナンスファイナル

朝10時よりファイナンスの最終試験。80分で15問の記述式。小問題による基礎の定着と、ケースを使った知識の応用とで構成されていたこの科目の試験は、基礎問題を時間内に正確に解けるかどうかを計るものだったらしく、とにかく基本に忠実だった。

教官のダルコは常々、テキストに書いてある公式なんかは全て現実には役に立たないが、マネジメントが意思決定を行うための議論のベースになる共通言語だから覚えなさい、と言う。私も同感。これらを理解していないのは、米国の企業に働いていて英語を話せないのと同じで、どれだけ考えが深くても、正しいことを言っていても、共通言語でのコミュニケーションが取れない限り周囲に理解してもらうことも、人を説得することもできない。

一方で、もう1人のファイナンスの教官エドモンドは、私のクラス以外の2つを教えているが、こういった計算は一切問わず、学生1人1人がマネジメントとしてどう意思決定するかのみを問う、と聞いた。授業の内容も、株式市場とボンドやストックにからめて、彼のファイナンスキャリアでの様々な体験を語るもので、とてもエキサイティングだという。同じHULTのMBAファイナンスIIという科目でも、教官によって全くコンテンツが違ってくる。

学生の間でもこの2つのクラスに関する意見は様々。ダルコの授業が好きな人、例えば私に言わせれば、エドモンドの言うマネジメントの意思決定をサポートしたり、人に伝えるための言語がテキストに書いてある公式やセオリーで、これらを理解しないでただ自分の意見を自信たっぷりに唱えるマネジメントなど信用できたものではない。逆に、エドモンドの授業が好きな学生は、私たちのクラスはモジュールAで習ったファイナンスIの内容をテキスト通りにただ繰り返しているようで、ファイナンスのビッグピクチャーが見えていないように映るらしい。

もちろん、誰一人として両方のクラスを受けているわけではないので、互いのクラスの内容は人づてに聞いたものでしかないのだが。結局、どちらの授業も趣向が違うがきっとおもしろいのではないだろうか、と推測する私は楽天的にできている。とにかく、私のファイナンスの試験はとりあえず無事に終わり、モジュールBの授業も、木曜日から始まるビジネスシミュレーションというゲーム形式での集中講座を残すのみとなった。

余談だが、試験後にダルコのところへ行き、授業がおもしろかったとお礼を言ったところ、あなたがクラスでいちばんお洒落だったわよ、ととても不思議なフィードバックをもらった。何がお気に召したのか理由は分からない。

Monday, April 18, 2011

ボストン、春

すっかり天気も良くなってきている最近のボストン。
年末からずっと凍り付いていた近くの池もすっかり元通り。


私の通学路はこの水路沿いを通る。
木々に葉っぱはまだ無いけれど、小さな赤い花のようなものが咲いている。
写真では分かりづらいのが残念。


今日は買出しの帰り道に桜の花を発見。
まだ五分咲きといったところ。


春が好きだ。

しかし、ボストンへ来てからもう9ヶ月近くが過ぎているのだと思うと、
時間の早さにぞっとしないでもない。毎日を大切にしていかなくては。

Saturday, April 16, 2011

4月15日(金) ファイナンス、シスター・スーダ、金曜日。

授業の2時間前に登校。ファイナンスの問題を解いて、ケースを読んで自分なりのアプローチをエクセルにまとめる。

ファイナンスの授業は10時から3時間。朝やっておいたケースについては全く触れなかった。為替の計算問題は、私たちにとっては日常茶飯事だが、米国に住む米国人にとっては感覚がつかみについて様子。

あと、ダルコが言っていたのは、アジア圏や彼女の出身のハンガリーでは、公式を覚えてそこへ数字を代入していくが (日本もそうだ)、米国では公式を覚えるという作業をせずに、数字のみで考えるのが一般的だとか。汎用性があるのは公式を覚える方だと思うが、文字なんかじゃなく、数字を求めているのだから、数字で考えよう、というのも米国のプラグマティズムなのだろうか。

その後M&Aに関する講義があって授業は終了。活発な議論のせいで時間は押して、バタバタな感じで終わったけれど、内容としてはいつも通り楽しめた。

その後、2時から5時までマネジメントコミュニケーションのシスター・スーダの最後の授業。集中講義2つと、大量の課題および試験で忙しかったこの5週間と、その中でも特に忙しかった今週の終わりなので、クラスの雰囲気が明るい。授業もとても良かった。

このスーダのビジネスライティングの授業と言うのは、留学生が多いHULTだから特に重要なのかもしれないが、とにかく役に立つことは間違いない。日本語でも企業で文書を作るとか丁寧なメールを書くというのは難しい作業だし、ただ言葉が話せるだけとは違うスキルが身につくのは良い。

授業の最後には、今後とも連絡を取り合っていきましょうということ、私たちが心から望む仕事につくことができることを祈ると言ってくれた。人材の流動性の高い米国では、生涯のうちで3つ違ったのキャリアを歩むことも一般的だとか。機会に対してオープンでいましょう、とのこと。彼女自身もウォールストリートのトレーダーから、現在のビジネスライティングを教える企業の共同経営者と、大きなキャリアチェンジを経験しているので説得力がある。

夕方、MITの日本人会による花見に顔を出したが、一緒に来る予定の友人がキャンセルし、他に知り合いもいなかったので、散らし寿司とトン汁をむしゃむしゃ食べて、一緒のテーブルになった米人学生たちと日本についてちょっと話して帰ってきた。とてもよく歩いた。

Friday, April 15, 2011

4月14日(木) ストラテジー試験、バタバタした一日

8.30 am Strategy Final
10.30 am Haircut
11.30 am Immunization
12.00 pm Mgt Communication Essay
2.00 pm Lunch
2.30 pm Finance Case
6.00 pm Mentor Dinner

バタバタ。朝ストラテジーの試験をうけたあと、あわてて近くのバーバーへ行って髪を切る。夜のディナーまでに切っておきたかったからだ。Hultへ戻って、まだやっていなかった予防接種を受けて(有料)、マネジメントコミュニケーションの課題提出を終わらせる。

ストラテジーの試験は、ゲーム理論を使って価格戦略を決定するものと、業界内で大手の戦略とニッチプレイヤーの戦略の違いを説明するもの。ひねった問題ではなかったのだが、いまいち回答に自信がない。

ランチを食べながら一息ついたあと、いくつかメールの返信を済ませ、明日のファイナンスの課題を進めて、夕方は近くのアフガニスタン料理屋でエグゼクティブトラックの面々とそのメンターたちでディナー。帰り道、ビベックとチェリーとをうちに招き少し話をした後、ファイナンスのケースに戻ろうとしたのだが、能率が上がらず寝る。早朝に起きて課題を仕上げないと。あと1日で、待ちに待った週末だ。

Tuesday, April 12, 2011

4月11日(月) オペレーション試験、ミーティング

朝からストラテジー。
昼間は試験勉強。
午後4時からオペレーションの試験。
7時からストラテジーの課題。

朝の授業でいきなり翌日までの課題が出されて、当てられたチームはプレゼンしなさいということだった。午後には試験があり、その前は必死に勉強したかったので、必然的にミーティングは夜の7時からということになる。

オペレーションの試験は、4つの大問があり、プロセスの分析と単純な計算、品質管理の手法に関連した概念の説明、サプライチェーンに関する事例の分析 (ケースと言うほど長くない) などが出題された。

ミーティングを終えると9時過ぎ。試験のあとのミーティングと言うのは、みんな脳が疲れていて生産性が低い。テーマは、ブランド商品を持つ企業が廉価版のプロダクトラインを作るベネフィットとリスクについて。

とりあえず試験が1つ終わったのはうれしい。

Sunday, April 10, 2011

4月10日(日) 忙しい一週間が始まる。


気の休まらない日曜日。一番の原因は明日のオペレーションの試験だが、考えてみればその後もしばらくかなりの忙しい時期になる。モジュールBがあと実質2週間で終わるので、試験や提出物が山盛りになっている。

日、英国エージェント用翻訳チェック。散髪。試験勉強。ストラテジー予習。
月、ストラテジーケース。オペレーションマネジメントの試験。
火、ファイナンス課題。自治会ミーティング。ストラテジーケース。
水、終日ストラテジー試験対策。
木、ストラテジー試験。ファイナンス最終レポート。メンターとディナー。
金、ファイナンス最終講義。ビジネスライティング最終レポート。
土、チェンジマネジメント講座(学外)ミニプレゼン。最終レポートのチュータリング。

翌火曜ファイナンス試験。その後ビジネスシミュレーションの集中講義。
22日(金)にモジュールBほぼ終了祝いパーティー。イベント一部を自治会で担当。
チェンジマネジメント最終レポートは23日(土)が締め切り。分量が多いので要注意。
集中講義終了後(28日~)、インターン開始予定なのにまだ調整中。

近所のバーで行われるブルースのライブを聴きに行きたいし、
先週見つけた雰囲気の良い南米カフェにも行きたい。
ブログももう少し細かいメモとして記録を続けたいのだが、
どうにもタスク管理がうまく出来ない感じだ。

とりあえず、乗り切るか。

Wednesday, April 6, 2011

3月の週末の風景

クラスメイトのマウリシオのうちで、ブラジルの伝統料理であるフェジョアーダが振舞われた。

フェジョアーダ。

以下、クラスメイトたちの様子を紹介。ちなみに私は写っていない。








腹ごなしサッカー。

今回は南米とヨーロッパの学生の多い集まりになっていて、いつもならいちばん人口の多いインド人が少ないのが珍しかった。このメンバーの多くは、モジュールB終了後にキャンパスローテーションを使って世界各地にあるキャンパスへ移動してしまう。さみしい限りだ。