とても盛大に羽を伸ばした一日。まずお昼には、North Endというイタリア人街でランチとお茶。
街は、ボストンをベースとするBruinsというアイスホッケーチームがスタンレーカップ優勝パレードを行うため、黄色や黒のユニフォームを着た人で溢れかえっていた。むしろ背番号のついていない自分が申し訳ないくらいだ。
ハーバード、MITやボストン大学 (通称BU) の研究者や、米国暦の長い方々と一緒に美味しいパスタやピザを楽しんだ後で、カフェでエスプレッソを飲みながらどうでもいい話をする。Cafe Vittoriaというカフェのエスプレッソはとても美味しいのだが、私が特に気に入っているのは、バニラのジェラートにエスプレッソをかけて食べる方法。アフォガートというらしい。山盛りで運ばれてくるジェラートを器に収まるくらいまで食べたら、その上からエスプレッソをかける。同じものを注文したT氏は、ここまでにエスプレッソを飲み干してしまっていたのが残念。笑。
その後、天気がよかったので、次の待ち合わせ場所であるCopleyという駅まで一時間ほどの散歩。Summer Shackという店でロブスターを食べた。なんだか食べてばっかりだ。2ポンド (約900g) のロブスターを3人で分けたのだが、ここのロブスターはとても美味しかった。今までロブスターを何度か食べたが、なんとなく身が緩いし大味なように感じられて、いつもいちばん美味しいのは松葉ガニと車海老だと思っていた。しかし、ロブスターにも美味しいものがあるのなら、少し考えを改める必要もあるのかもしれない。
この日のメインは、ボストンポップスのゴスペルナイト。ボストンのオーケストラが夏場や冬のオフシーズンにだけPOPSを演奏するらしい。会場はシンフォニーホール。
ゴスペルはとても楽しかった。前半が子どもたちによる演奏、後半が大人だったのだが、どちらも違った良さがあって、演奏時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。どちらにも共通しているのが、声の迫力、美しいハーモニー、テンポのよさ、そして歌い手の笑顔。
神に祈りを捧げる黒人霊歌であるゴスペルを聞きながら、ぼんやりと考えていたことがある。バカバカしいかもしれないが、どうして人は歌うのだろうとか、どうしてゴスペルというものが生まれて、こんなふうな形に発展したのかということ。
1つ思ったことは、音楽を共有することや、声を合わせるということは、歌い手にも聞き手にもとても強い連帯感を生み出すということだ。本質的には利己的な人間が、集団の活動に参加し、同じものを尊ぶことで、協力し合えたり、互いを思い遣ることができたりするのかもしれないなと。そして、ゴスペルのすごいところは、この連帯感が形式ばった儀式からではなく、全身を使った表現から生まれるため、とても強い感情的なつながりを生むこと (このあたりはスポーツも似ている)。
現代社会に必要なのは、楽しい合唱なのかもしれないなと安直なことを考えながら、今日は遊びすぎたと反省してうちに帰る。
街は、ボストンをベースとするBruinsというアイスホッケーチームがスタンレーカップ優勝パレードを行うため、黄色や黒のユニフォームを着た人で溢れかえっていた。むしろ背番号のついていない自分が申し訳ないくらいだ。
ハーバード、MITやボストン大学 (通称BU) の研究者や、米国暦の長い方々と一緒に美味しいパスタやピザを楽しんだ後で、カフェでエスプレッソを飲みながらどうでもいい話をする。Cafe Vittoriaというカフェのエスプレッソはとても美味しいのだが、私が特に気に入っているのは、バニラのジェラートにエスプレッソをかけて食べる方法。アフォガートというらしい。山盛りで運ばれてくるジェラートを器に収まるくらいまで食べたら、その上からエスプレッソをかける。同じものを注文したT氏は、ここまでにエスプレッソを飲み干してしまっていたのが残念。笑。
その後、天気がよかったので、次の待ち合わせ場所であるCopleyという駅まで一時間ほどの散歩。Summer Shackという店でロブスターを食べた。なんだか食べてばっかりだ。2ポンド (約900g) のロブスターを3人で分けたのだが、ここのロブスターはとても美味しかった。今までロブスターを何度か食べたが、なんとなく身が緩いし大味なように感じられて、いつもいちばん美味しいのは松葉ガニと車海老だと思っていた。しかし、ロブスターにも美味しいものがあるのなら、少し考えを改める必要もあるのかもしれない。
この日のメインは、ボストンポップスのゴスペルナイト。ボストンのオーケストラが夏場や冬のオフシーズンにだけPOPSを演奏するらしい。会場はシンフォニーホール。
ゴスペルはとても楽しかった。前半が子どもたちによる演奏、後半が大人だったのだが、どちらも違った良さがあって、演奏時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。どちらにも共通しているのが、声の迫力、美しいハーモニー、テンポのよさ、そして歌い手の笑顔。
神に祈りを捧げる黒人霊歌であるゴスペルを聞きながら、ぼんやりと考えていたことがある。バカバカしいかもしれないが、どうして人は歌うのだろうとか、どうしてゴスペルというものが生まれて、こんなふうな形に発展したのかということ。
1つ思ったことは、音楽を共有することや、声を合わせるということは、歌い手にも聞き手にもとても強い連帯感を生み出すということだ。本質的には利己的な人間が、集団の活動に参加し、同じものを尊ぶことで、協力し合えたり、互いを思い遣ることができたりするのかもしれないなと。そして、ゴスペルのすごいところは、この連帯感が形式ばった儀式からではなく、全身を使った表現から生まれるため、とても強い感情的なつながりを生むこと (このあたりはスポーツも似ている)。
現代社会に必要なのは、楽しい合唱なのかもしれないなと安直なことを考えながら、今日は遊びすぎたと反省してうちに帰る。
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