この授業は肌に合わない。
理由はいくつかあるけれど、主要なものとしてはこんな感じ。
1. 全体的なトーンとして企業活動の負の側面にフォーカスしがち。
2. 教官が文化的な面で繊細さに欠ける。
3. 学生のコメントのため授業と無関係なところに時間を取られる。
1. 企業の活動がコミュニティ、環境、人々に悪い影響を与えた例を示しながら、企業には社会的責任があると唱えるのが、この授業のトーンだと少なくとも私には思えるのだが、私にとってはP. センゲの「持続可能な未来へ」にあるような、企業や業界やNGOとのパートナーシップによる協働が、社会に対してどれだけポジティブな影響を与えることのできるポテンシャルを持っているか、と考える方が好みだ。
根本的なパラダイムが、企業の目的は株主価値の最大化であるという前提に立っていたことを思えば、それだけではいけないだろう、と考えることからCSRに取り組むことは理解できるのだが、私の場合は、まずマイナス面を見て改善策を考えるよりも、企業がCSRを重視してさまざまなステークホルダーを考慮した経済活動を通じて、どれだけ現状をよくすることが出来るか、と考える方がモチベーションは上がる。センゲが「問題解決ではなく、創造活動が大切だ」と言っているのと同じだ。
2. 講師Rには文化的な繊細さが欠落しているように思う。もちろんここは米国で、彼は米国人なのだが、HULTの特色は学生の多様性だ。学生のほとんどは海外から来ているし、1教室60名の中に20カ国以上の国籍が集まっているのだから、通常よりもこの点には注意を払う必要があるのだが、そんな中で講師Rはこんなことをやってしまう。
「政治や経済が不安定であれば、企業は進出を控えたり、既存のビジネスを心配したりするだろう」という当たり前のことを言うときに、中東や北アフリカからの学生が複数いる教室内で「今のエジプトやバーレーンのように」とまったく付加価値の無い具体例をあげて、学生の感情を害してしまった。
トヨタのリコールについて日本人に意見を求めた上で、学生がそれを政治的な策略だと答えれば「それは君が日本人だからだろう?」とコメントしてしまったり。そんなコメントするくらいならはじめからクラス全員の前で日本人に意見を求めなければいいのに、と私は思う。案の定、ブラジル人から「アメリカ人意外はあれを政略だと思っているよ?」と突っ込まれていたらしいが。
3. 結局、そんなことをやっていると授業が生産的なものにならないのだ。どうでもいい点について学生がコメントをせざるを得なくなったり、不用意な発言から議論がポイントをはずしてしまう。楽しみにしていたのは、企業が今、CSRについてどのように考え、どのような取り組みを行って、どのような効果や、チャレンジがあるのか、知識や考えの種をもらうことだったので、現状、正直期待はずれだったりする。
ま、こういうのは個人的な意見であって、企業は株主価値の最大化のために存在するという前提に立って疑わない人に、いろいろな側面から思考を広げる必要性を訴えるための授業であれば、これは意味があるクラスなのだろう。実際、先週見たドキュメンタリー「The Corporation」なんかは、とても衝撃的だったし。
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