Friday, May 13, 2011

5月12日 (木) ASHOKA.org、社会起業について

朝からメンターのところに顔を出し、少し調べ物をしてレポートをまとめて、ボストンへ帰ってきた。いつもより一本早い電車に乗ったのは、モジュールCで履修しているソーシャルイノベーションの教官、ローレンスがSimmons Collegeと言うところで行われるイベントに招待してくれたからだ。とてもすてきな話を聞かせてもらったので、メモを残しておこうと思う。

このイベントは、スタンフォード発祥でサステナビリティーに関する活動を行っている学生中心の弾代、Net Impact (http://www.netimpact.org/) のイベントで、メインスピーカーは、ビル・ドレイトンという人。Ashoka という社会起業家支援を行う団体の設立者で、参加者はサステナビリティーに関わる人だとか社会企業家が多かった。


パネリストは、ビル氏とAhokaのフェローの社会起業家2人、NIのボストンの人が1名だったんだけど9割がたの時間はビルさんが話していた。とても穏やかかつクリアな口調で話すビル氏が、もしも自分の成功談をうれしそうに語っていたなら、きっともっとつまらないトークになったのだろうけれど、全然そうはならなかった。期待を裏切られたし、行ってよかったと思った。

ビル氏のいちばんのメッセージは、みんながチェンジメーカーであるべきだという点だと今の時点では思っている。このビジョンと違って、今の社会は繰り返されるパターンで構成されていて、個人はこのパターンをスムースに回すことに終始していると言う。

今、多くの人が何かがおかしいと思っている中で、ビジョンを実現していくために必要となるのは、現行のパターンに組み込まれてしまう人じゃなく、このシステムを見ることができて、そして変えていける人が必要。変えていける人は、家庭環境や教育を通じてリーダーシップ、チームワーク、チェンジマネジメント、そして共感することを学んでいる人。ほんとはこういう人は21歳以下でチェンジメーカーとしての経験をしてきていないとダメなんだとか。古いパターンの中でステータス・クオの番人をやってきた人が、突然変化を起こす人になるのは大変だから。

しかし、そういうビル氏がAshokaを始めたのは21歳よりずっと後。理由のひとつとして、本人の家庭環境として、両親や生まれ育ったNYCという街とかが大切だったと語る。世界の捉え方やモノの見方、要するに早期に形成される根本的な価値観というのが鍵だって言ってるのだと思う。

確かに、良いレールに乗ることの大切さや、そこから外れることの怖さを教えられて育ったチェンジメーカーというのは、なかなか想像しがたい。エリート層出身のチェンジメーカーというのはいるけれど、この人たちのマインドは、エリートしてる間もずっとチェンジメーカー側のものなんだと思う。

必要なものは新しいパラダイムで、それをみんなが見ることができることが大切なんだって言ってた。もっとこうあるべきだという考えを共有できることなのかしら。今のパターンというのが持続しないことは私たちもずっと分かってる、ただもっと共有されないといけない、だったかな。時々文脈を捉え損ねてしまったりで、どこまでこの大きなビジョンについての話を理解できているのかに自信がない。

チェンジメーカーとそのコンビネーションがキーで、このムーブメントががある時点でティッピング・ポイントに達しなきゃいけないんだと。Ashokaは、そのためのネットワークのハブだって。あと、ハブはいっぱいある。世界はTeam of teamsだと言う。

しかし、このTeam of Teamsのイメージがいまいちつかめない。チームっていうのはファンクションの結合体じゃなくて助け合えなきゃならず、だから共感できることが大事だって言ってたのは覚えている。チームのチームっていうのは、チーム内とチーム間での相互ヘルプがあるということなのかしら。

ビル氏のトークのもう1点のテイクアウェイとしては、例えばMBAの学生は、卒業後生きていく国(や業界や職種やなんやかや)を決めることはよく考えているが、生きていく「コミュニティー」を考えることっていうのも大事だと。どんな指向性を持った人と一緒にいたいかということ、か。

自分がほんとに思うことをやるのに必要なのは、ただ自分自身に許可をあたえること。P.センゲのワークショップで「私は~であることを選択します」と声にしてみるエクササイズがあったけれど、なるほど私なんかはどうにも意志が弱いのか、日和がちなのか、自分自身に継続して言い聞かせないと気持ちはすぐしぼんでしまう。

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