Sunday, July 31, 2011

7月30日 (土) ボストン飲茶会事件

飲茶会事件という名前の会がある。ボストン在住でVCに勤めるKさんがツイッターで呼びかけて、運営を最近の私のごはん友達H氏に丸投げしたと聞く (多分その通りなんだと思う)。毎月、どこかの週末のお昼にチャイナタウンで美味しい飲茶をたらふく食べるというだけの会なのだが、今回ひさしぶりに参加することができた。少し、この会も大きくなってきているらしく、前回参加したときには10名程度だったのだが、今回は20名に近づいていたような気がする。

飲茶は美味しい。しかも、安い。円卓を囲んで、蒸し餃子各種やチャーハン的なものや、ちまきやシューマイ、いろんなものを食べて、一人当たり15ドル (1200円) だった。今の円高も手伝って、なおさら安い。月に一度こういうブランチがあると、おなかも気持も満たされる上に、やってくる人たちがみんな賢い人たちなので大いに刺激になる。今回は、新しくボストンにやって来て、MITで研究をすることになった早稲田の先生や、ハーバードの教育の勉強をする日本のNGOから来た人、日本語の先生なんかと知り合うことができた。HULTにいるとどうにも出不精になるので、こうして外へ出る機会があるのもうれしい。

あとK氏はいつもながら本当に親切で、2歳の子どもの面倒を見ながら、こっちでの就職活動についてアドバイスをくれる。米国歴の長いH氏からも、やっぱりネットワーキングです的なアドバイスをもらいながら、なかなかそれが難しいので数打つしかないなあという感じ。よし、打つか。

Friday, July 29, 2011

7月28日 (木) チャイナのBとチャイナのH

ALP、ビジネスコンセプトのプレゼンの日。

インターンの事務所にも今日は行かない。朝のうち、家で作業をしてチームとメールのやり取り。昼前になって、HULTのパソコンルームでパワーポイントをいじっていると、中国のボがいたのでとりとめもなく話をする。うちのチームのアイデアを勝手にバラし(今さらマネをされるわけも無いし、そもそも彼らのチームとはテーマが違う)、意見を求めてみると、どうやら現地に拠点を持つNPOと連携して若干の教育サービスを組み込めないかと言う部分が刺さったらしい。

そのNPOというのが、私が去年からボランティアで英日翻訳を行っているRoom to Readなのだが、この団体について話すと、興味津々でジョン・ウッドの本もAmazonで早速買うとのこと。彼が教育に関心があるというのは知っていたのだが、食いつきっぷりに少し驚いた。

ボーは、中国の東大みたいな北京大学出身、英国系銀行で法人営業をやっていたらしい。モジュールAでGPA3.80というほぼオールAの成績を叩き出した秀才で、クラスの面々も彼には一目置いている。彼と話していて思うことには、ほんと中国にはいろんな人がいる。これまで中国本土にべったり育った人間とあまり突っ込んだ話をすることは少なかったのだが(彼らが中国語圏学生同士で群れるため)、実は政府の批判をする人間だってたくさんいる。表立ってできないだけだ。今度、和食か中華でも食べに行こうかという話になる。

そんなことを思った後のミーティングで、同じ中国から来たチームメイト、Hが暴走。直前になって、すてきな背景のスライドに、お花畑が咲いている系のパワポ資料を送ってきた。前回のミーティングで決めたテンプレートは使っていないし、前回決めた目次にまったく沿っていない。プレゼンテーション本番まであと2時間半なのに、どうするのこれ?

スライドに関して決めたルールはこんな感じだ。「3つのラフなビジネスアイデアをクライアントにプレゼンするので、それぞれについて0. 背景(白地にオレンジの枠、共有済み)、1. プラン全体像(フレーム共有済み)、2. ターゲット、3. 提供するもの、4. 必要なリソース、5. 収支概算。」しかし、Hが作ったスライドにはなんとも言えず不思議な背景(青空の下にどこまでも続く道路)に、捉えどころのない抽象的な言葉が並び、それらが1枚のスライドにつき10回もクリックが必要なほど複雑なのにまったく効果的でないアニメーションと共に浮かんできて、無駄に、動く。パワーポイント覚えたての大学生か、と言いかけて、今の大学生はもっと賢いことに気づく。私が10数年前に大学生だった頃にやってしまった間違い、というだけの話だ。

作戦は2つ。彼女のスライドから使えるところを切り取って元のフレームと目次に収めるか、あるいは、彼女が発表するパートだけ、諦めてそのまま暴走してもらうか、だ。クライアントのいるプレゼンなので、どちらがクライアントにとってベターかを考えなければならない。結局、目の前でウニョウニョ動くアニメーションを解読して、切り貼りしてフレームに収めるのは無理だと分かる。いくら話を聞いても、いったい彼女が何を言いたいのか分からないからだ。今あるままを、とりあえず見た目だけ修正し、プレゼンのあとの質疑応答で周りがなるべくサポートすることにする。

結局、そんなこんなでバタバタとしながらプレゼン終了。クライアントからは3つ提案したアイデアのうち1つに対してGOが出た。これにまつわる現状の課題をきいて、次の8日のプレゼンまでにさらにリサーチして、提案を行う。心配したHのパートは、要するに全くなにが売りなのか伝わらなかったらしく、「大きな設計図だけど、そこにあることは全部すでにうちがやってるね」と、クライアントから根本的なダメ出しがでて、彼の時間をほぼ無駄に等しいので、私はとてもへこんだ。

とにかく、あと10日でALPも終わりだ。

Tuesday, July 26, 2011

7月25日 (月) オフィス→HULT→翻訳

時間が無いので箇条書き。

  • 朝からオフィスへ。月曜の朝は嫌いだ。
  • メンターが推薦状を書いてくれる。リクルーターにコンタクトするときに添付しなさいとのこと。下書きは私が自分でやった。Webからサンプルの良い文章を拾って、アレンジするのがコツだ。1から自分で構成しようとすると、英文らしくない文章や、素人っぽい文章になる。
  • ビルと打ち合わせ。金曜日には、他の部署の人と打ち合わせ。これをゴールに準備を進める。彼の仕事の仕方は見習うところが多い。あと資料作りが上手い。
  • ランチの時間に、オフィスで初めて日本人を発見する。日本支社からQAのためにこちらへ呼ばれたらしい。グローバル企業に日本人は少ない。
  • メンターがHULTで用があったため、彼女の車に乗せてもらってボストンへ戻る。普段の通勤は1時間半以上掛かっているのだが、車だと30分強で着いてしまう。速い。
  • ALPミーティングを2時間。うまくファシリテーションできて建設的議論になった。
  • と思いきや、最後の最後に紛糾。しかも、へレンが怒っている理由は、彼女がキショウの言っている内容を完全に誤解しているからだ。ああもう、人の話を聞きなさい。
  • 負担にならないレベルで引き受けたはずのルーム・トゥ・リードの翻訳校正作業が、思いの外時間が掛かる作業だと分かる。発見。他人の訳を修正するより自分で訳す方が速い。
明日は、ALPの詰め作業。次のプレゼンは木曜日。

Monday, July 25, 2011

7月23日 (土) ボストン熱波

昨日の金曜日から今日の土曜日にかけて、ボストンに熱波がやってきた。両日とも、最高気温は38度や39度となっていて、日本でもかなり暑い日の部類に入ると思う。ボストンの暑さは、日本に比べればまだ湿度が低い分マシだと聞くが、問題はうちの部屋にはエアコンがなく、扇風機が1台と空気清浄機が1台あるだけだということ。

金曜の夜にオフィスから帰るとき、1人でブルックラインへ足を伸ばし、ずいぶん久しぶりにきちんとした和食を食べ、ついでに小さな扇風機を1つ買った ($15=1200円)。今ある大きなものを部屋から暑い空気を送り出す換気扇代わりに使い、この新しい方を自分が当てようと考えたからだ。ついでに壊れているドライヤーも買い換えたのは、就職活動もなんとかして米国に残ってやろうと言う自分への意思表示でもある。

うちに着くと部屋はサウナになっていた。私の部屋はルームシェアで3階建ての家の3階にある。1階と2階には大家カップルが住んでいて (彼はMITの研究者、彼女の方はHULTが入っているEFで働いている)、 3階に私とルームメイトが住んでいるのだが、このフロアは屋根裏だからなのか、ものすごく熱が篭る。外が35度を超える日の部屋の中は本当にひどい暑さで、計画通りに扇風機をつけても、気分が悪くなるほど熱い風が起こるばかりだった。

Facebookに思わず書き込む。

【急募】私をエアコンの聞いた場所で寝かせてくれる人。見つからない場合HULTで寝ようかな。

しかし、ウォールに書かれたレスポンスを見る限り、クラスメイトの多くが同じ状況のようだった。1年限りの滞在で、エアコンを購入する学生は少ない。

この暑さは土曜日いっぱい続いた。夜にフレンチのチェリーとその婚約者のナシアとで1杯だけ飲みに行ったが、冷たいビールを飲んだときの解放感といったら言葉で表現しがたい。暑い夏は苦手だが、その分ビールが美味しくなるのは (たまになら) 良いものだ。

明日からは、最高気温が30度にならないらしいので、また快適なボストンの夏が帰ってくる。

Saturday, July 23, 2011

7月22日 (金) オフィスランチ。米国に暮らすこと。

6時半に起きて7時10分までに家を出ると、ノースステーションで30分早い電車に乗れる。そしたら事務所に9時前に着けるので、午前中にそこそこ作業が進む。

ランチは部署の面々と一緒に食べる。Directorのナン、Sr. Mgrのヘンリと、秘書ジュディー、4月頃に転職してきた新婚のビルと、中国系でほぼ米国育ちのキャトリーンで丸いテーブルを囲んで、仕事以外の話ばかりをする。これが私にとっては、いい勉強になるのだが、なかなか大変な時間だ。例えば話題が娘を殺害して逮捕された女性の裁判の話だとか、昔流行したTwilightとかいうドラマシリーズの話だとか、なんとかという映画に出ていたなんとかという俳優の話になると、米国の文化の中で育っていない私には、さっぱり何のことやら分からない。

おそらく、日本で同様の話をしていても、私はしばしば友人をびっくりさせるほど芸能ネタには疎いので、結局は沈黙を守ることになると思うのだが、せめて話題の人物が男性か女性か、年齢はどのくらいか、どういうキャラクターなのかなど、文脈から読み取れるところもあるだろうし、せめてテレビや雑誌で見かけたとかいうレベルでの知識はあることだろう(それか、全く注意を払わずごはんを食べる)。これがこのランチの場では全くできずに困ってしまう。

思うことは、直近4年以上を外国に暮らしていても、私はやはりそれらの国に外国人として居住していて、それぞれの文化に一部として溶け込むのではなく、それらを観察する側として存在しているということ。特に今の職場でこれを強く感じる気がするのは、これまでに過ごした留学生の多い学校という場所(米国、英国とも)や、世界各地から来た人の多かった以前のオフィスに比べて、ここのチームのメンバーは、世代こそ違えど同じ米国のカルチャーの中で生まれ育ってきている人が大半だからだと思う。

米国に暮らしていても、インターナショナルな空気(あるいは特定のカルチャー)がドミナントである場と、米国カルチャーがドミナントな場というのが存在する。これは日本でいえば、日本へ留学や仕事できている外国人たちが集まっている場と、普通の日本人の集まりとの違いに似ていると思う。違いは、前者のような場所が、日本と比べて米国や英国には非常に多いこと。私が経験した中では、米国よりも英国の方に多かった。欧州諸国に近かったり、国内に移民が「移民」として存在しているためかもしれないと思う。米国では移民は「アメリカ人」になろうとする、と昨日読んだブログにあった (ウォールストリート日記「アメリカ金融業界でのキャリア」 http://wallstny.exblog.jp/15144010/)。

そんなこんながあって、上のブログの最後の方にあった「MBAなど大学院からアメリカに来ても、現地に本格的に溶け込むのはかなり困難です。可能であれば、高校か大学からフルタイム留学をすることが、望ましいように思います。」という一節に私は大きな共感を覚えたのだけれど。さて、私はウォールストリートでのキャリアを求めているわけでもなければ、米国人になりたいと思っているわけでもない。ただ、この国をもっと知りたい好奇心はたくさんあるし、いつか日本へ帰るときには、もっとディープな経験を積んで本当に使えるこの国での知識や情報を持って帰りたいと思う。

なるほど、今のインターンでの経験は、ただ一年留学して日本へ帰っていれば、まず考えることがなかっただろうし、去年まで住んでいたロンドンとNYCやボストンとの違いについても、あまり考えなかったのだろうと思えば本当に貴重な体験だ。メンターには本当に感謝。就職活動についても、できる限りサポートすると言ってくれているので、こちらも愛想を付かされないようにベストを尽くしてあとは天命を待つくらいの気持ちになれるようがんばるか。

Friday, July 22, 2011

7月21日 (木) HULTタレントショー、だそうだ。

インターン先から1本早い電車で帰ってきたのは、Graduation Committee (卒業パーティーの企画委員会) 主催の、HULTタレントショーのためだった。ヘイマーケット近くのパブで行われたこのイベントは、卒業パーティーのための資金集めが狙い。

インターナショナルビジネススクールであるHULTなので、このイベントの出し物には、アメリカ人の弾き語りのほかに、コロンビア人男女のタンゴ、ナイジェリア人の歌(計3名、やけに上手い)、トーゴ人のサックス、フランス人のギター、インド人の舞踊、といろいろあって、その中になぜか紛れ込んだのが日本人の私。初めて人前でウクレレを疲労して歌をうたう羽目になった。

学部時代に歌を歌っていたので、人前で歌うのは平気だが、楽器を弾きながらというのは初めてで思い切り緊張した。しかし、評判は悪くなかった様子だ(少なくとも評判の方が演奏の出来よりは良かった)。とりあえず参加することに意義があるということにしておく。イベント自体も盛り上がったし、貴重な体験になったし、次回があるならもっとうまくやりたいものだ。

Wednesday, July 20, 2011

7月19日 (火) 分析資料作成とミーティングと。

朝からインターン先へ。いつもより30分早い電車に乗れた。
午前中、先週私が作った資料をベースにビルと打ち合わせをして、少しコンテンツを改良したあとビジュアルを整える。私が作ったフレーム自体は採用されたのだが、分かりやすいアイコンを入れたり、色を使ったりするだけで見栄えがぐっと良くなった。見習わないと。

ランチの前に、部門のシニアディレクターのナンとシニアマネージャーのヘンリに作成した資料をプレゼン。ものすごく好評で感激してしまう。「このエクセルを元に誰かにソフトウェアを作ってもらえば、どの業界の人も買うわ」だそうで、オンラインで使えるツールにして使用権を売った方がいい、とかアイデアは膨らむ。米人の褒め上手にはいつもかなわないが、このフィードバックはかなり良いものであるらしく、ビルも上機嫌。

ランチの後は、別件プロジェクトについてメンターに説明。午前中のビルのプレゼンに比べれば、もちろん英語のネイティブ・非ネイティブの差は埋められないのだけれど、それ以上に「口頭で言葉を尽くして説明する」という作業において私にはたくさん向上の余地があるなと感じる。書く分には、それほど問題を感じないのだが。それでも、これは無難に済んだ。ただ、ちょっとくやしいだけだ。

一方で、同席したライブラリアンのスーザンのデータ処理について、メンターが少し厳しく突っ込んでいて困った。複雑なデータをきちんと整理できていなくて、イライラが伝わってくる感じ。スーザンは私にも良くしてくれているので、うまくヘルプできればいいのだが、それをしていると時間を取られて私の仕事が回らなくなる。実は私のやった作業と連携した仕事でもあるので、大枠のデザインを私がやれればラクになるのになあと思わないでもない。

このインターン先での仕事は面白い。HULTのMBAでやるのと似たような分析作業も多いのだが、これが直接企業の収益につながっているところが良くて、やはり何をするにしても学習効果を最大化するには当事者意識が必要なのだと思う。

夜7時ごろボストンに戻り、HULTに立ち寄って起業家スーザンとのミーティングに向けた打ち合わせ。明日夜、サウスボストンで彼女とミーティングを行うので、それまでに少し考えを整理しておかなければならないからだ。これに関しては、いまいち進展が見えていないところもあって、何か売上が立つ状況になってからがおもしろいのかなと感じている。下準備は確かに大事で、このことは理解しているのだが、実際にプロジェクトが走り出さないと、どうにもリアルに落として考えにくい。